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▼三部の釣り人さん:
以下は、市民塾の資料から抜粋したものです。
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1977年9月1日、三重県環境保全事業団が設立された。理事長は三重県知事(現在は県環境部長退職後の雨下り?)、理事は主要都市の市長と、コンビナート工場長(現在は石原産業だけ)、事務局は県の環境検査センター。なんのことはない、産廃を捨てるエ場と監視監督する行政が一緒で、捨てられて困る、迷惑をこうむる住民などは蚊帳の外。なんとも廃棄側の癒着そのものの談合組織である。
環境保全事業団は、こうした組織だから、“有害廃棄物はない”わけで、磯津の漁民が「楠町吉崎へ石原の産廃を捨てるようになってから、赤い水が浜に流れるようになった。分析などしてほしい。」と言ってきたので、名古屋大学の助手をしていた河田昌東さんなどに分析を依頼、吉崎の投棄場所でサンプル採取をしていたら、環境保全事集団の腕章を巻いた男子が来て「そんなことをしなくても大丈夫、悪いものは入っていない」と言うので、「じやあ、どんな物質が含まれているのか教えてください」「それは知りません」「いま安全だって言ったじやないですか」「上の人にそう言えって言われています」「じゃあ、ここで待っているから、その上の人を連れて来てください」
長い時間待っても来ないので産廃排出者の石原産業へ行った。守衛が「環境保全事業団の腕章を巻いた人は事務所へ行って、もう帰って行きました」と言う。なんのことはないえらいさんと言うのは事集団の理事をしている石原産業であった。
このアイアンクレイは、吉崎のほかに、霞の第三コンビの第2次3次埋め立て、霞埠頭埋め立て、川越町海岸部と、大量に廃棄されているが、どこもあらかじめ、山土が置いてあり、ダンプカーが荷台をあげて捨てるとショベルカーがならし、その上に山土をかぶせていた。その頃は放射能をもっているとは思っていなかったが、石原はそうすることで放射能を閉じこめていたわけである。
放射能ということでは、1990年に「社会新報」が、関西の酸化チタンエ場の廃棄物から放射能が検出され問題化しているとの記事があり、石原のほうが大きいのでと、その頃、事業団が大々的に廃棄していた小山町へガイガーカウンターを持った伊藤三男さんなど市民兵と新聞記者とで計りに行った。針はふれる。三重県はあわてて石原と廃棄場所とを計りに行き、7月25日「問題はない」と発表した。市民兵たちが持っていった計器は3種計れるのに、県のは2種しかなく、それと、放射能をもつ産廃を無造作に捨てていいものかと心配になった。
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以上、石原産業のアイアンクレー・フェロシルト問題より(2005年11月)
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