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瓦版4号 四日市再生 公害『市民塾』 1997。11。20
第3回公害「市民塾」は、かっての公害激甚地を歩く
「公害四日市の原点・磯津へ行ったことがありますか」
「公害患者たちの駆け込み寺・塩浜病院がどうなっているか知っていますか」
「うがい、乾布摩擦、6個所あるうがい場、空気清浄機のあった公害激甚地校・塩浜小学校を知っていますか」
こうした事は、公害四日市を知る、話す、考える上で、ぜひとも知っておかなくてはならないイロハです。(第2コンビナートの午起・高浜は、ホヘトで、塩浜同様、歩く市民塾を計画したいと思っています。
10月25日(土)、午後1時30分、近鉄塩浜駅東口集合。参加したのは、主婦、学生、労働者、小・中・高校・大学の先生、ジャーナリストなど15人ほどで、「ネットワークみえ」で知ったからと、東京から歴史教育者協議会の先生も来られていました。
※三重テレビが同行取材、11月10日(月)夜8時からのまるっきりテレビで放送していました。(そのテレビで「市民塾」のことを知ったと、質問などの問い合わせの電話があったりしました。)
近鉄塩浜駅→四日市商業高校・定時制高校跡地(現・三菱化学事務所)→塩浜中学校跡地(現・昭和石油福利厚生施設)→塩浜急患診療所跡地→県立塩浜病院跡地(健康センター建設中)→塩浜小学校通学路(地下にパイプ埋設・以上があるときは連絡をの立て看板)→塩浜小学校(コミュニティー室で、校歌やうがい、乾布摩擦などが出てくるビデオと堀内学校長の話・うがい室・4階展望からの観察→磯津(漁港、大気汚染測定器小舎、旧公民館、海岸。町中どおり、中山医院) 現地解散
磯津へは時々行くが、その都度といっていいほど、この日も、スイミングクラブのマイクロバスが磯津(鈴鹿川堤防道路)を走っていた。公害判決のころ、「漁師の子どもが泳げないのでは話にもならんので、バスに乗って四日市のプールへ泳ぎの練習に行かせている」という話を聞いていた。
すぐそこに海があるのに、しかも漁師町なのに、今も泳げない。四日市本土では、「公害を克服した、終結した」などといっているが、磯津で泳げる砂浜、貝とり、魚とりもできるようになったときこそ、そう言い始めても言い訳で【公害の歴史、歩いて発見】は、これからも大事にしていきたい、そんな事も感想として思いました。