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「フェロシルト」をめぐる動き

1998年(平成10年)1月
 酸化チタン(白色、塗料・化粧品などの原料)を製造する過程で大量に出る産業廃棄物・アイアンクレー(鉄と粘土)を、フェロシルト(鉄と粘土)の商品名で生産を開始。(産廃として正規こ処分場に投棄すると多額の金がいる)

1991年(平成15年)3月
 有害物質を含まないサンプルを三重県に提出、フェロシルトをリサイクル商品に認定するよう申請。
同年 9月
 三重県がリサイクル製品に認定。これについては、三重県環境保全事業団が検査にあたった。事業団の理事は、石原産業工場長の安藤正義常務である(安藤氏は、石原労組委員長で、1986年・昭和61年から3年間、地区労副議長や、三重県労協の三役などもしていて、三重県労働界では名を知られていた)

 三重県がリサイクル製品に認定したことで、石原産業は「フェロシルト」を商品として販売、40億円ともいわれる利益をあげ、かたむき加減の会社の景気を一気にたてなおした。産廃だと、1トンあたり8千円の処理費用がかかるが、商品だと売る事が出来る。そこで、佐藤副工場長が率先、1トン1千円で売却、買った業者に3千円を「研究開発費」とか「運送費」とかの名目で渡していた。逆有償である。つまり、そうすることで、産廃だと8千円を払わなければならないのに、商品だと、2千円ですむわけで利益は上がる。
 佐藤副工場町は、岐阜や愛知に出かけ、住民に「ふつうの土と代わりません」「ケナフがよく育ちますよ」などと宣伝していた。

2004年(平成16年)12月
 愛知や岐阜の住民が、フェロシルト投棄現場から「赤い水」が流れている。放射線が測定されたと、愛知・岐阜の県庁に抗議したところ、「三重県がリサイクル製品に認定している以上、県としてはどうしようもない」とお手上げで、女性たちが、三重県に出向いて抗議をはじめた。分析したら、発ガン物質の六価クロムが検出され(石原は知っていた)、大きな社会問題となった。

 岐阜・愛知の市民運動団体の女性から、公害市民塾(澤井)に「四日市でこんな有害な物を造って、こちらに捨てに来ている、四日市ではどうしているんですか」と苦言を呈され、フェロシルト問題を知った。
 市民兵の会当時、放射能廃棄物だと、ガイガーカウンターで、小山処分場で調査して県に抗議したり、横町吉崎に大量のアイアンクレー投棄で、分析資料採取に出かけるとか、八郷地区伊坂町の山砂を掘った大きな穴にアイアンクレーを投棄することを聞き、月刊ミニコミ誌「公害トマレ」を一軒一軒配って歩き、ついには、賛成の自治会長を辞めさせ、投棄を阻止したことなどがあり、おさまったと思い、関心と監視、運動をしないでいた結果、こうしたことが起きたわけで、無関心ではいけないと、あらためて思い知った。

2005年(平成17年)4月 石原産業がフェロシルト販売を中止。
 同年 6月6日 石原産業がリサイクル製品認定取り下げ申請、県が受理。
 同年10月12日 石原産業が、「申請と異なるエ程で製造」「ニセサンプル提出は故意」
 不正は、佐藤副工場長の独断。聞係工場長の二人(田村藤夫社長、安藤常務)は事務屋だから現場のことは知らなかったと、記者会見で釈明。
同年11月8日 三重県警が特別捜査本部を設置。本社や工場などを家宅捜査。12日には、三重、愛知、岐阜、京都の4府県警が合同捜査本部を設置。

2006年(平成18年)11月6日 佐藤副工場長、宮崎環境保安部長など4人を逮捕。

2008年(平成19年)3月30日 津地裁で初公判。被告の佐藤副工場長、宮崎環境保安部長が起訴事実を認め、法人代表として出廷の田村社長は、業務に関する行為と認めるが、産廃との認識はなかった、佐藤副工場長が独断でやったことと陳述。

同年6月25日 5固の公判を経て、この日、佐藤被告に懲役2年の実刑、宮崎被告に執行猶予5年の懲役1年4月、会社に罰金5千万円の判決。佐藤被告だけが名古屋高裁に控訴したが、地裁判決同様の判決で、最高裁に上告することなく刑に服することにした。

 同じ産廃の刑事裁判は、前回同様、今回も有罪判決で終わった。これで、企業犯罪はやまるのか、そうは思えない。

1、「赤い土」の本で、企業犯罪をするどく暴いた朝日新聞東京本社(それ以前は名古屋本社)の杉本裕明記者は、労組(幹部)が、会社を乗っ取ったのを原因の一つに挙げている。
 1972年のぜんそく裁判会社敗訴で、労組はいち早く、発生源から公害を出さないとの方針を高く掲げた。あの方針はどうなったのか。方針をかかげた役員に安藤常務も労組役員としてかかわっていたはずである。
 また、現労組も、公害を出さない方針は受け継いでいるはずである。今回の裁判の法廷で宮崎被告は、佐藤氏は上司で言う事を聞かなくてはならなかったと陳述している。個人ではそうかもしれない、言えば首、左遷されるかもしれないが、労組の要求としてなら会社は開かざるを得ない。なぜ、明らかな不法行為を見逃したのか。もっとも、会社の嫌がることを言ったり、やったりしたら、会社での出世が出来ないからとしたら、そういう幹部は労組にはいらない。幹部になるなら、出世を度外視してやるべきで、会社での出世のために役員になろうなどもってのほかである。組合員は、生活安定のために「組合費」という「保険金」を払っている。それと、今回のことで、組合員は、倒産しないか、賃上げはできるのかなどの不安を感じている。退職者も肩身の狭い思いをしている。労組(幹部)の責任は重大である。

2、廃硫酸たれ流し事件裁判で有罪になった教訓をどういかしてきたのか。
 今回の事件で明らかなのは、垂れ流し裁判の教訓を会社は十分に学んでいたということである。一つは、いち早く証拠となるものを始末した。警察がもたもたしていたので、それを可能にしたこともあるだろうが、海上保安部が廃硫酸をたれ流し事件のときには、署員には、家族にも石原捜索を話すなと固く口止めし、決行日、正門近くで張り番、工場長の車が入るのを確認して、先ず、守衛所を押さえ、事務所に連絡させないようにして、いっせいに事務所・現場に踏み込み、証拠をおさえることで、言い逃れ出来ないようにした。警察・検察でもないのに、あざやかな捜索である。
 今回は、もたもたしている間に、会社は捜索を予定して、証拠隠滅をはかることができた。
 だから、やすやすと、会社そのもの、会社ぐるみの犯罪を挙けることができなかった。証拠不十分で、立件できなかったと、検察も裁判所も手がだせなかった。垂れ流し裁判の教訓を会社は見事にやってのけたわけである。「工場長は事務屋だから現場のことはわかりません」と、
 見逃してしまった。

3、裁判法廷で、垂れ流し裁判では、当時は、工場次長がやったこと、工場長はあずかりしらぬことと、証言するなどしたが、海保が押収した証拠がものをいって工場長が裁かれた。今回は、副工場長が勝手にやったこととの主張を、証拠を持たない検察はくずせず会社の言い分が通った。会社側が勝ったわけである。
 会社は、この二つの裁判で、十二分に教訓をえたわけである。判決日に社長は、コンプライアンス法令順守を徹底して、こうした不祥事をふたたび起さないようにすると、神妙に語っていたが、実は、2年前から、瀬戸にフェロシルトより悪質の産廃を投棄していたことかばれ社長を辞任、相談役での居座りをはかったが、さすがにそれもできず、役職を離れた。
 「法令順守」は口先だけが露呈した。こんなことで、石原産業の「犯罪」は以後はないとは言えないわけで、「関心」「監視」と、工場内の出来事を外に知らしめるようにしなければならない。なによりも、酸化チタンの製造がつつくかぎり大量の廃棄物がでることは事実なわけで、最初は海に捨てた、次には陸に捨てた、これからはどこへ捨てるのか、十分な監視が必要だ。

4、行政(井上哲夫市長)は軽々しく「公害を克服した」「コンビナートの近くでホタルが舞う」などと言うべきではない。緊張関係のないところで、こうした不祥事が起きる。市民も、少し考えれば、楠町本郷でホタルが舞ったから公害が克服されたなどの「偽」にだまされてはいけない。市民も、「偽」を見破る、公災害に関心・監視の思いをもたなければならない。

5、なによりも、市民の関心・監視といっても、限度がある以上、労働組合・役員が職場で目を光らせ、会社の不祥事をやめさせることだ。工場内でのそうした緊張関係があってこそ不祥事は防げるし、この際、労組幹部をして会社で出世した人、不祥事出立のときの現幹部も含めて総辞職をし、あらためて、1972年9月(ぜんそく裁判判決直後)の第5回定期大会でかかげた「私たらの職場から、絶対に公害を出さないとの基本姿勢が必要」との方針を“憲法9条”として掲げ、それを遵守するとの誓約をなす役員を選出すべきである。会社はそうした役員に飴玉をなめさせることなく、出世させないことだ。


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