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「四日市公害と戦う市民兵の会」を引っ張った吉村「先生」

ほんとうの「先生」について
「公害トマレ」復刻出版と、「公害トマレ物語」出版に寄せて

澤井 余志郎

「先生と呼んではいけないっていう先生が、学生さん数人と事務所へ来て出来ることはなんでもするから言ってくださいって…。澤井さんはいつも一人であれこれしているけど、せっかく手伝ってくださるって言うから、お手伝いしてもらったら‥‥」
 四日市市職労組事務所内に間借りしている「公害訴訟を支持する会」の事務局員の女性から電話で知らされた。1969年夏のことである。
 はて、先生と呼ばせない先生とはどんな先生なのか、ともかく出かけた。名古屋大学工学部・吉村功助教授であった。 たしかに、先生とゼミの学生だが、かしこまった助教授と学生ではない。
 このときの出会いから、私も「先生」と呼んだことはなく、いまも「吉村さん」で通している。
 吉村さんたちが四日市に来るようになった頃、公害裁判は原告患者側の証人が出廷、被告企業側からの反対尋問も受けていた頃である。
 水俣では、水俣病裁判が提起(1969年6月)され、それにあわせ、水俣病を告発する会が「告発」と題したミニコミ紙を発行した。創刊号には、代表の本田啓吉代表が“義勇兵の決意”と題した告発文をのせていた。「敵が目の前にいてもたたかわない者はもともとたたかうつもりのなかった者である」とあり、告発する会にあこがれをもった。
 四日市にも告発する会がほしいと思った。吉村さんたちの四日市通いは始められていたが、会を名乗るまでにはいってはいなかった。吉村さんは名古屋で歯科技工士とジャーナリストの3人で告発三人委員会を立ち上げ“四日市公害の告発運動に参加せよ”と提起をした。
 こうしたことがあり、ミニコミ誌の発刊と発行元の名前が必要であると「四日市公害と戦う市民兵の会」を名乗ることになった。
 題名「公害トマレ」は、これも当時小西誠反戦自衛官の反軍裁判で「整列ヤスメ」のミニコミ紙が発行されていたこともあり、それをまねた題名にした。
 題字は、当時四日市職労の小平副委員長が、しやれた公害裁判の手書きポスターを書いていて、かれの書く字体が気に入っていたので書いてもらった。

 「公害トマレ」発刊の頃には、吉村ゼミ生だけでなく、理学部、教育学部の学生や、三重大、岐阜大の学生なども市民兵になっていた。四日市現地の市民も参加していた。月2回の例会に参加する人は市民兵である。
 「公害トマレ」はある一定時期、地区ごとに担当者を決め、600人ほどの公害認定患者に毎月配達に行き、病状や公害状況を聞く、四日市で起きている問題について知らせるなど、日常的に接触をたもつようにしていたので、その地区で問題があったときには、患者会の役員を市民兵が患者宅に案内することもあった。「毎月親切な人が訪ねてきてくれて感謝していました。名古屋大学の先生でしたか。」と、大分たってから、河原田の患者さんが言っていた。
 「公害トマレ」の熱心な読者は患者さんであり、コンビナート工場のエライさんでもあった。革新団体の役員たちはあまり見向きもしなかった。
 編集は市民兵二人ずつ交代で、やった。誌代だけでまかなえるわけがなく、吉村さんが毎月の月給からと、講演料・原稿料をつぎ込んでくれた。家賃は全額吉村さんから貰って大家に払いに行った。吉村さんあっての、市民兵の会であり、「公害トマレ」であった。
 市民兵は、黒衣で助っ人を信条に、じぶんで運動を創る、動くことを大事にした。例会は運動したことの報告こそが、つぎの運動につながった。

 こうしたよそものが、四日市の人たちが創りえなかった運動をつくり、確実に住民運動の助っ人がやれたのも、吉村さんあってのことで、これは誇張でもなく、事実である。だから吉村さんは、コンビナートのえらいさんから手のうちようがない(誘惑も金銭・地位利用も)と嫌われ、革新団体のえらいさんからも敬遠された。
 その吉村さんは、私にとっても、反公害の住民にとっても、真の吉村「先生」である。
 吉村さんは、名古屋大学から東京理科大学工学部教授となり、今年(07年)3月定年退職、名古屋市の住居に帰ってきたが、あと2年間は、大学院ゼミで東京在住に多くをついやすようだ。
 吉村さんは、東京理科大でも「吉村さん」で通したようで、定年にあたり、教え子たちが、『吉村さんという統計家』と題した記念誌をつくっている。定年の会には、名古屋大学吉村ゼミにいた、四日市公害裁判原告患者石田喜知松さんの孫も出席していた。

 「先生」と呼ばれない人に、伊藤三男・県立高校教員がいる。「公害トマレ」の終わりの方はもっばら三男さんが編集を手がけた。「トマレ」への思いは誰よりも、強烈で、「公害トマレ物語」の大作を書き上げた。ぜひ、読んでほしいです。

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