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刑事裁判はじまる

昨年2006年11月27日、元副工場長ら二人と石原産業が起訴され、その後追起訴があったりしていたが、第一回の公判はいつ開かれるだろうとみていた。前日の3月29日、新聞記者から、30日の午後、津地裁で開かれること、傍聴者多数の場合は抽選になることを知らされた。ついでに、感想を聞かれた。
 3月30日、市民塾の語りべである山本勝治さんと近鉄電車で津新町下車で行った。駐車場がないだろうと電車にしたが、裁判所の駐車場に市民塾メンバーの伊藤三男さんが車できていた。
 傍聴券をもらうくじ引きには100名ほどの行列が出来、32枚の傍聴券は3人に1人、3人での確立でゆけば1人はあたる、時間が来てくじの棒をひいた、澤井が赤のついたくじを引き当てた。しばらくして、「余ったから」と、共同通信とNHKの記者に2枚の傍聴券をもらった。なんのことはない、くじ引きの行列は新聞とテレビ局の動員者であった。券をもらったとき、あとで感想をのべることを約束した。

 2箇所の門の取材陣があわただしくなった。本日の主役の登場である。テレビや新聞の写真で見慣れた田村社長の実物をはじめて見た。それとともに、なつかしい顔の大西弁護士も久しぶりに見た。ぜんそく裁判の頃は、大物と言われた大塚喜一郎弁護士について法廷にきていた若い弁護士だが、判決から35年の月日がたち、白髪のおじいさんになっていた。法廷でも思ったが、大塚弁護士(たれ流し裁判中に最高裁判事になった)にかなうべくもなく、うすい存在に受け取れた。大西弁護士は、ぜんそく裁判で、患者側の今井三重大講師の証言の反対尋問で「実検モルモットの平均寿命は…」とトンチンカンな質問をし、裁判長もふくめ法廷中が爆笑した。患者側弁護士から「くだらん質問をするな…」と声が出ていた。面白い弁護士さんで、第1回公判のかでも、裁判長の問いかけにはっきりとした答えができないでいた。
 佐藤副工場長には、社長・元環境保安部長とは別の弁護士がついていた。
 裁判の模様は新聞参照を。夕方、NHK東海のニュ−スで、澤井について公害裁判原告の字とアナウンスがされていて、35年は遠い昔になったのかなと思った。

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