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2006年9月29日
三重県立看護学校
実習生と野田さん
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三重県立看護大学生に野田さんがお礼を述べた
津市にある三重県立看護大学の1年生99名(うち男子9名)の平成18年度「ふれあい実習」は、「ふれあい実習における四日市公害と地域に暮らす人々との関わりについての講演・塩浜、磯津地区の見学」をテーマとしたもので、99名を3つにわけ、9月27日(水)34名、28日(木)33名、29日(金)32名と3日間にわたって行われた。
午前中は、市環境学習センターで、公害ビデオやパネルを見るのと鈴木所長の謙義があり、午後は、近鉄電車で塩浜駅に移動。駅からは、澤井が語りべガイドで、塩浜街道沿いの、元・商業高校跡地に建つ「三菱化学事務所」の経緯や塩浜中学校の移転と「昭和四日市石油厚生施設」の説明をしながら、ときには、石原産業の工場内へダンプカーで運び込まれる産廃フェロシルトに注目してもらい、県立塩浜病院跡他に建つ健康増進センターのいわれと、通学路に立ててある「敷設パイプに異常があれば工場へ電話を」の看板と、そうなったときどうしますかの問いかけをしつつ西門から校舎内へ。
塩浜小学校では、「児童の勉強に差し支えないよう校内では静かにしてください」の注意。2階の視聴覚室では、野田さんが控えてくれている。ただし、野田さんは患者、第1日目は、心臓が悪く不整脈が顕著で救急車で県医療センターへ行ったときの診断結果の診察があり、来られなかった。
まず、うがい室と展望室へ案内しながら、うがいや空気清浄機、公害マスクでの登下校、運動場は芝生とスプリンクラーでガスを含むほこりの舞い上がり防止、野田さんの10年間入院の塩浜病院のことなどの説明をしながら、約20分ほどかけてまわり、視聴覚教室で野田さんに引継ぎをする。
野田さんは、将来の看護姉さんにことのほかの親近感をもち、「あんたたちの先輩にたいへん世帯になった。後輩のみなさんにありがとうの挨拶をさせてもらいます」と感謝の気持を述べていた。入院中のときに、当直の看護姉さんに朝の3時頃「漁に行く時間だからおきなさいよ」とおこしてもらい、一日中漁をつづけ、帰ってくると「お帰り」と我が家へ帰ったような挨拶をかけてもらい、発作気味のときはすぐに注射をうってもらうなど、入院患者が漁に行くなどけしからんと言われた時代に、四日市を離れたら発作がおきない、漁師だから一日働いていくらの収入、それがあって家族の生活費をかせぎ、じぶんも入院をつづけられたという実情を知ってのことで、そうして今の自分がある。医者よりもそうした看護師さんがいればこそで、ほんとうに看護師さんは、家族よりも頼りになる存在で、感謝の気持をもちつづけていると言いつづけていた。
自分のそうした経験から、「患者を単なる病人としてだけ見るのだけではなく、思いやりも忘れないでほしい」とも話していた。いつのまにやら塩小の校長さんが来ていて、「わしが入院したときには、塩小の校長だったと思いだし、親切にあつかってくれよな」と、横から発言していた。
こうしたやりとりを開きながら、看護大の学生ではなく、医学部の学生だったらどうなんだろうかな、こんなあたたかな雰囲気にはならないだろうなと想像しながら聞いていた。
3時すぎ、磯津の子どもの通学路となっている鈴鹿川堤防を歩き、磯津へ。地元住民とのふれあいが掲げられていて、学生諸君はその気になっていても、歩行者がいなかったりで、ふれあいはうまくいかない。一日目は、野田さんがおられないこともあり、磯津患者会の会長・加藤光一さんを肪ねたら軽装で寝転んでいると娘さんが言っていたので、これから磯津の在所を通って鈴鹿川の河口まで行き、帰りに学生を5、6人連れてくるからと頼み、帰りに行きたい人はついてきてくださいと言ったところ、教授3人のほかに15人ほどがついてきた。加藤さんの家は広いからみんないれてもらうようにするからと誘い込んで加藤さんの話を開くことにした。制止しないと、靖国問題で小泉はけしからんとか、支那事変で南京で兵隊がひどいことをしたとか、84歳の加藤さんは脱線するので、横にいて、公害にもどすのに手間取った。発作が激しいので、骨がやられる注射を開業医で打ってもらう、発作から逃れるためによくないと解かっていても打ってもらうと言う。教授はそのクスリを知っていて、病院などではそんな危険な注射はようしませんと話していた。
こうした、学習は3日間、好天気のなかで行われた。私は、先ず車を塩浜小の駐車場に止め、歩いて近鉄塩浜駅に行き,13時30分に電車で来る学生を待ちうけ、教授がガイドの私を紹介、以後、説明しながら歩きで塩小へ。そのあとも磯津まで歩く、ひたすら歩く。これは往き、4時過ぎ鈴鹿川河口で解散したあとも帰りの歩きがあり、2日目、足裏の指が痛くなり、なんとか市職労事務所までたどりつき、予定より30分遅れで、中浜書記長と名古屋の野呂弁護士事務所へ判決35周年の実行委員会での打ち合わせに行った。幸い中浜さんの車に乗せていってもらったので歩くことはなかったが、3日日がこんなことでつとまるかなと心配だったが、なんとかやり通して、気分のよい疲れにひたった。
こうしたふれあい現地学習会は、三枝愛とか四日市大の看護学部も、医学部もやってもらうと、公害・環境もよくなるのになの思いをもった。
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