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31周年現地集会に参加して

伊藤三男

 久しぶりの磯津だった。ずいぶんとご無沙汰をしてしまった。集会のはじまる前に町の中を歩き回ってみた。軒を接するように家々の並ぶ路地は昔と変わらぬ狭さだが、道路には目につくようなごみがほとんどない。軽自動車くらいしか通れないような道端から飼い猫が首を出し、夕食前のおばちゃんたちが立ち話にふける。堤防に回るとおっちゃんたちが笑い声を上げながら世間話に話を咲かせる。30年という時間が過ぎ去ってしまったことが嘘のように、自分自身若かったあのころとまるで違和感もなくつながってしまう。しかし、あれが30年前という事実は変わらない。

 四日市公害訴訟の判決記念として5年刻みくらいで集会やシンポをもってきたが、大部分は四日市の中心部で催されてきたし、立ち入り調査といいながらもバスののってグルグル回ってすませてきていた。「原点・磯津」が遠いところになっていた。「四日市公害と戦う市民兵の会」の存在は原告・患者さんたちへの助っ人という役割なしにはあり得なかったのだが、そんな振る舞いも立ち消えになって久しい。「「寺子屋」で興じた公民館は改築されて立ち入るすべもない。確かに時間は経過したのだと、自分を納得させてみるしかない。

 31年目にしてはじめての現地集会は30人ほどの小さな規模になってしまったが、それぞれがそれぞれの思いを抱いた人たちの集まりで、約2時間は短すぎるくらいだった。四日市市が作ったビデオに対してはたくさんの批判の意見が出されたが、実際に手がけた制作プロはこの集会にも参加をしていないくらいだから、その出来栄えに多くを期待するのは無理なのかもしれない。何とか自前で作ってみたいとは思うのだが経費や技術を考えれば不可能に近い。市の担当者に注文をつけて経費の無駄遣いをさせないことが精々私たちにできることだろうか。

 三重大や四日市大のセンセイ方が見えていたので資料館づくりに向けて新たな展開があるのだろうか。「四日市公害がライフワーク」という朴さんの熱意と、(流行言葉でいえば)どのようなコラボレーションが成立するのか。その場限りの「記念集会」で終わらせないためも、主催者たる「市民塾」の責任は大きいということになるだろう。川向こうに輝くコンビナートの夜景を見ながら、思いを新たにすることのできた31年目の夜であった。

 

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