こうがいぜんそく
塩浜小二年 せおあつや

ぼくのおかあさんは、こうがいぜんそくでながいことびょういんで、にゅういんしていました。
 ぼくは、まん二さいのときからおかあさんといっしょにびょういんにいました。雨がふったり、曇ったときなどは、みんなぜんそくのほっさがひどいので、ぼくはかんごふさんのところへ、たのみに行ってやりました。
 ぽくが、あまりじょうずに、ちゅうしゃといえないので、みんなの先生たちが、よくわらいました。
 ことしの九月一六日のあさ、おかあさんはひどいほっさがおこって、「くるしい、いきがつまる。」といいながらいしきがなくなって、きゅうきゅう車でぴょういんにはこばれて行きました。
 車のなかですぐにさんそきゅうにゅうにかけられていても、なかなか気がつかずに、びょういんで先生たちが、三人でちゅうしゃをしたりしていましたが、三時間たってから気がついたそうです。
 ぼくはおかあさんがしんでしまうかと思って、しんぱいでしんぱいでなりませんでした。 その日は、みんなよその人たちもひどいほっさがおこっていました。ぽくたちのともだちにも、たくさんぜんそくで、くるしんでいる子がいます。そんな子をみるとかわいそうでなりません.
 ぼくたちにもっときれいな空気がすえるようにしてほしいと思います。学校からかえるとき、こうじょうのほうをみると、ものすごいけむりが出ています。そんなときは、おかあさんのことを思いだして、にくらしくなることがあります。

(一九六九年五月)

早くきれいな空気を
塩浜中一年 瀬尾喜代子

私の母は、公害ぜんそくで入院しています。
 雨の日や、どんより曇った日などは、ぜんそく発作もひどく、うなりながら朝の仕事をしています。
 私たちは、母が入院したばかりのときは、本当に淋しい悲しい思いをしました。
 わたしが三年生の時に、見るに見かねて、福井のおばさんが、妹といっしょに預かってくれました。みんなとても優しく大事にしてくれましたが、それでも妹は、母のいない家でもいいから帰りたいといって、毎日泣いてばかりいて、おばさんを困らせてばかりいました。とうとう一ヶ月余りで帰ってしまいました。
 ひとりで帰った妹のことが心配でたまりません。
 ある日、妹は淋しさのあまり病院にいる母の所へ行く途中、遊びながら歩いていて、川に落ちておぼれかかっているところを知らない人に助けられました。
 私はそれを聞いてすぐ帰りました。妹一人がお人形で遊んでいるのを見ていると、妹が、私の顔を見るなり、わあっと泣き出しました。私たちはしばらく抱き合って、泣いていました。そのことがあってからは、母は悪い体をおして毎日、家に帰らしてもらうようになりました。 私たちも、母に長生きをしてもらいたいと思って、自分たちでできることは、なるべく母の手を借りないようにしています。
 早くきれいな空気を吸って、みんな幸せな日を送れるようにしてください。病気で苦しんでいる人たちのためにも、お願いします。

(一九六八年一一月)

会社なんかなくなればいい。でも…
三浜小 三年 小島 さゆり
 わたしは、四才の時から公害にんていかんじゃになっています。とくにひどかったのは、ようち園から一年生のころでした。
 夜中にぜんそくで苦しくなって、食べた物を全部もどしてしまったり、ねつが出て息苦しくなったりしたことでよくおぼえています。とてもいやなことだったからです。
 二年、三年になって、少しよくなったように思いますが、夏が近づいて、風が南東からふいてくるようになるとぜんそくがおきます。
 一年生のころは、「会社なんか、なくなればよいのに。」と思っていましたが、今はそんなことは思わなくなりました。おとうさんが、石油コンビナートの会社につとめているので、会社が、なくなれば、わたしの家はびんほうになってしまうからです。
 おとうさんは、いつも「会社は、公害のためにたくさんのお金をつかって公害がでないようにどりょくしているんだよ。」と言っています。
 おかあさんは、「それでも、公害にんていかん者は、どんどんふえていますよ。」と言います。
 わたしは、どういうふうに考えたらいいのか、わからなくなってきます。そして、しまいには、公害のないきれいな空気の町にすんで、おとうさんも会社につとめられて、たくさんのお金がもらえて、みんなが病気にならないような家で、ずっとずっとくらしたいと思います。
いちごがり
塩浜小3年 岡田さ津子
 わたしは、ぜんそくがおこっていたので、学校を休んでいましたが、こうがい病のこどもたちが、いちごがりにいくので、からだのちょうしがわるかったけれども、おかあさんにたのんで、わたしもいきました。
 いさかダムは、たいへんくうきがよく、とてもいいきもちでした。
 わたしもみんなのように、元気がでてきて、たのしく走ったり、とんだり、できました。
 くうきがよかったら、わたしたちは、みんなと、おなじように、たのしく、じょうぶなからだになります。
 ふじん会のおばさんたちに、おむすびをもらいました。おかしももらいました。
 わたしたちのいそずちくも、このようないいくうきになったら、ゆめみたいだなあーとおもいます。
親の声から
公害病がうつる
 子どもの学校名は聞かんでください、公害病と言われるとかわいそうなので届けてないのです。先生方も努力はしてもらっているのでしょうけどね・・・
 子どもらで遊んでいると、母親が自分の子どもを連れてきて、「公害病のこと遊んだらあかん、うつるよって」って言うんです。親がそういって聞かせれば、子どもはそう思うでしょう・・・。そのために、学校でいじめられてはいかんと思って届けていないんです。
 長男は、「殴られても、僕はケンカしやへん」と言っていますが、萎縮せんかと、本当に心配です。
こうがい
 

ぼくたちの学校のそばに、こうがいをだすこうじょうがいくつかあります。
 日本で一ばんこうがいのはげしいところは四日市です。こうがいはくさくてたまらないときがたくさんあります。こうがいの中に、目に見えないくらいのつぶつぶが、風にふかれてとんできます。そのつぶつぶをすうと、からだのよわい人はひじょうにのどがはしかくてくるしみます。こうがいがひどいと天気がぼうっとして、とおくがはっきりみえません。
 つぶつぶやけむりのようなこうがいのほかに、ありゅうさんガスというこうがいがあります。このありゅうさんガスが一ばんからだにわるいそうです。いま、しおはまびょういんに、にゅういんしているこうがいかんじゃや、また、おうちにいるこうがいかんじゃたちは、みんなこのガスで、まい日、くるしんでいます。
 この間、ぼくのおとうさんのよく知っている人が、しおはまびょういんで死にました。この人は、こうがいで、声が出なくなってお話しができなくなったそうです。
 ぼくたちは、こうがいのひどい日の学校のゆきかえりには、マスクをはめたり、うがいをしたり、かんぷまさつをして、こうがいにまけないからだをつくろうといっしょうけんめいです。
 けれども、こうがいのほうが、ずっとつよいです。ぼくはよくかぜをひいて、のどがいたいです。せきもよくでます。
 こうがいは、こうばがださないようにするのが一ばんよいことです。
 そして、みんなが元気にあそんだり、おしごとができるすみよい四日市に早くしてほしいです。

(一九六九年五月)

こうがいとぼくの家
 

ぼくは、よくのどがいたくなります。そのわけは、こうじょうのけむりでなったとおもいます。
 ぼくのおじいちゃんは、こうがいかんじゃです。おじいちゃんは、よくさいばん(公害訴訟)に行きます。おじいちゃんは、よくせきをします。
 ぼくは、こうじょうをこわしてほしいと思います。
 おとうちゃんは、ときどき、こうがいのことで、よその人としゃべって、このごろは、まえよりよくはなしています。その人とおじいちゃんは、さいばんがあるとき行きます。 ぼくは、早く、こうがいをなおしてほしいと思います。
 それに、海に、あぶらをながします。それで、つりにいっても、くさいさかながつれて、ほらん(捨てる)なりません。それにさかながしぬときがあって、ういているときを、ときどき見ています。ぼくらは、かんぷまさつをしていても、けんこうの子がすくないです。

(一九六九年五月)

こうがい

 わたしの学校のよこに、こうじょうがあります。このこうじょうには、いっぱいえんとつがあり、いろんなタンクがあります。
 わたしたちは、毎朝、かんぷまさつがあります。冬になるとかけ足があります。きょ年、かけ足で、日本一しゅうというだいでかけ足をしていました。
 学校で、外がくさくなると、ほうそうで、「くさいので、まどしめて、せいじょうき(空気清浄器)をつけなさい」と言われます。
 えんとつが多いので、すぐくさくなります。
 えんとつから、すごい火がでるときもあります。

(一九六九年五月)