こうがいぜんそく
塩浜小二年 せおあつや
ぼくのおかあさんは、こうがいぜんそくでながいことびょういんで、にゅういんしていました。 (一九六九年五月) |
早くきれいな空気を
塩浜中一年 瀬尾喜代子
私の母は、公害ぜんそくで入院しています。 (一九六八年一一月) |
会社なんかなくなればいい。でも…
三浜小 三年 小島 さゆり
わたしは、四才の時から公害にんていかんじゃになっています。とくにひどかったのは、ようち園から一年生のころでした。
夜中にぜんそくで苦しくなって、食べた物を全部もどしてしまったり、ねつが出て息苦しくなったりしたことでよくおぼえています。とてもいやなことだったからです。 二年、三年になって、少しよくなったように思いますが、夏が近づいて、風が南東からふいてくるようになるとぜんそくがおきます。 一年生のころは、「会社なんか、なくなればよいのに。」と思っていましたが、今はそんなことは思わなくなりました。おとうさんが、石油コンビナートの会社につとめているので、会社が、なくなれば、わたしの家はびんほうになってしまうからです。 おとうさんは、いつも「会社は、公害のためにたくさんのお金をつかって公害がでないようにどりょくしているんだよ。」と言っています。 おかあさんは、「それでも、公害にんていかん者は、どんどんふえていますよ。」と言います。 わたしは、どういうふうに考えたらいいのか、わからなくなってきます。そして、しまいには、公害のないきれいな空気の町にすんで、おとうさんも会社につとめられて、たくさんのお金がもらえて、みんなが病気にならないような家で、ずっとずっとくらしたいと思います。 |
いちごがり
塩浜小3年 岡田さ津子
わたしは、ぜんそくがおこっていたので、学校を休んでいましたが、こうがい病のこどもたちが、いちごがりにいくので、からだのちょうしがわるかったけれども、おかあさんにたのんで、わたしもいきました。
いさかダムは、たいへんくうきがよく、とてもいいきもちでした。
わたしもみんなのように、元気がでてきて、たのしく走ったり、とんだり、できました。
くうきがよかったら、わたしたちは、みんなと、おなじように、たのしく、じょうぶなからだになります。
ふじん会のおばさんたちに、おむすびをもらいました。おかしももらいました。
わたしたちのいそずちくも、このようないいくうきになったら、ゆめみたいだなあーとおもいます。
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親の声から
公害病がうつる
子どもの学校名は聞かんでください、公害病と言われるとかわいそうなので届けてないのです。先生方も努力はしてもらっているのでしょうけどね・・・
子どもらで遊んでいると、母親が自分の子どもを連れてきて、「公害病のこと遊んだらあかん、うつるよって」って言うんです。親がそういって聞かせれば、子どもはそう思うでしょう・・・。そのために、学校でいじめられてはいかんと思って届けていないんです。
長男は、「殴られても、僕はケンカしやへん」と言っていますが、萎縮せんかと、本当に心配です。
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こうがい
ぼくたちの学校のそばに、こうがいをだすこうじょうがいくつかあります。 (一九六九年五月) |
こうがいとぼくの家
ぼくは、よくのどがいたくなります。そのわけは、こうじょうのけむりでなったとおもいます。 (一九六九年五月) |
こうがい わたしの学校のよこに、こうじょうがあります。このこうじょうには、いっぱいえんとつがあり、いろんなタンクがあります。 (一九六九年五月) |