三つのコンビナート

各コンビナートの位置

四日市の様子が大きく変わるのは、1958年に「旧海軍燃料しょう」あとに、みつびしと昭和四日市石油がやってきてからです。

次の年には、みつびし油化が作られ、そこを中心に各工場が建設され、次々とパイプで結ばれていきました。
これが第一コンビナートです。

1961年、市民の海水浴場として親しまれていた午起海岸をうめたてました。そこに、大協石油、中電四日市火力、大協石油化学が建設され、第二コンビナートを作りました。

コンビナートのすぐとなりには、家がたくさん建っています。工場から出されるけむりが、家のほうに流れたくさんの人が苦しむことになったのです。

第三コンビナートは、もう少し後に作られました。
第一、第二コンビナートのために、多くの人が苦しんでいたのに、四日市市議会では、第三コンビナートを作ることを決めてしまいました。
今考えると、とても信じられないことです。
第三コンビナートのためにうめたてられる場所も、海水浴場として市民からとても親しまれていました。