1997年7月24日
四日市公害裁判原告患者 野田之一
「四日市公害は、水の汚れ、海の汚れから始まった。」
という話しを最初にされた。しばらくして、会場から、質問が出ました。
「最近、磯津でつりをする人が増えてきているが、海はきれいになったのでは」と。
「確かにねえ。見た目はきれいや。きれいやけどねえ、わたし、これ、50年、漁師しとるけどね、昔とった魚はねえ、立派なぴかぴかしてねえ、本当にきれいな魚やった。でも、今の魚はねえ、科学と何とで、ごっちゃになってね、合成された魚みたいになっとる。だからねえ、身もうまいときとまずいときとある。だからねえ、そんな世の中になっとるからねえ、実際、考えてみると、怖いんじゃないかなあと思うときがある。」
「そいでねえ、伊勢湾の・・・今の状態でね、半分死んどるというのが適当やと思う。というのはねえ、鈴鹿川を境にして北と南に分けると、北の海はねえ・・・ヘドロがたまって、死んどる。人間が生活物資を川に捨てたわねえ、・・・海に流れて、その上で、産卵した魚は、酸素が通らんからみんな死んでしまうと・・・海底調査すると・・・海がくさっとるところはずいぶんあると思う。でも、そんなことを知っとるのは、ごく一部の漁師だけですわなあ。」
「あんたら、水が生き返ったから、きれいな海や、これはもう、伊勢湾が生き返ったと思うわねえ。でもそうじゃない。木曽三川が流れてね、突き当たるところが、中部国際空港や。・・・あの辺はねえ、木曽三川の生水と塩水の境になって本当にきれいな漁場や。今年の4月、あそこで、網引っ張ったんや。10分で動かんようになった。何で、うごかんようになったかというと、海底にねえ、昆布、海草、ワカメがどんと生えてねえ、網が通らんだんや。晩までかかって、やっとの思いで、持って帰ってね、それぐらい大事なとこやけどね、あれもそんな調査はされとらんから、国際空港作ってしまう・・・住民の宝、一つ、減ってしまう。みんな、一生懸命になって阻止したけどね。」
「海の天然資源はねえ。今の状態で動いとんのやけど、そこまで、今、海のこと真剣に考えてくれる人おるかなあ。私ら、もうこれあと、いっかもない命やからなあ、どうなってもええと思えば、それまでやけど。でも、これから、生まれてくる子どもはどうなるんやろう。」
「私ら、子どもの頃ねえ、この鈴鹿川でねえ、エビとカニとか、学校の帰りにつかんで、とって帰って、うちのおっかあに、『今晩のおかずできたぞ。これたいてくれ』って、それをおかずにしてもらって食った。そんな生活をしたこと覚えてんのやからね。これからの子どもにさ、そういう楽しみを与えたるためには、今現在おる人らは、それを守っていく義務があんのやないかなっと、私は、そう思うね。だから、この機会にさ、こういうことにちょっとでも関心持ってくれる人がおったら、私はええかなと思います。」
「環境や人権が大事やというておっても、最後は、経済の方が優先されてしまう。」と話されたことを思い出した。