「ゼンソクで死ぬようなことはない」と言われていたのに、第一コンビナートにはさまれた塩浜中の生徒と、第二コンビナートに近い海蔵小の児童がゼンソクでなくなりました。
母親たちが中心になって、公害をなくせ、ゼンソク児童の養ごしせつを作れなどの要求をかかげて集会やデモ行進をおこないました。
その後、公害病の子どもを持つ母親たちが中心になり、塩浜小学校の先生たちも協力して、「公害から子どもを守る塩浜母の会」を作った。
そして、県知事や四日市市長にちんじょうするなどの運動や公害をなくしていくにはどうすればよいかといった勉強会もやりました。
また、公害を止めるさいばんをやろうと話し合いや、さいばん所へうったえるじゅんびもやったりするなどいっしょうけんめいがんばりました。