1960年代と70年代に「くさい魚」や四日市ぜんそくを引き起こした「四日市公害」。
裁判に勝訴して、30年がたとうとしているが、最近、次々と明らかになる有害物質の検出は、 市民に深刻な健康被害を及ぼした四日市公害の教訓が生きているといえるのか、四日市公害が克服されたと言い切れるのか、あらためて考えたい。

有害物質による汚染状況

日付 工場 有害物質 環境基準 汚染状況
1999/11/11
富士電気三重工場 トリクロロエチレン 487倍 地下水汚染
2001/7/19
コスモ電子 シス−1,2−ジクロロエチレン 575倍 地下水汚染
9/12
三菱化学四日市事業所 P C B 142倍 地下水汚染
9/28
日本板硝子四日市工場 ヒ 素 18倍 地下水汚染
12/19
日本板硝子四日市工場 亜ヒ酸 空中飛散 事故
2002/1/2
日本板硝子四日市工場 亜ヒ酸 空中飛散 事故

新聞記事から

2000年度の四日市市の国道23号沿いの浮遊粒子状物質(SPM)の濃度が、兵庫県尼崎市の国道43号沿いや名古屋市港区の国道23号沿いなどを上回り、二酸化窒素(NOχ)も尼崎、名古屋、大阪市より高いことが分かった。

2000年06月15日(金) 保育園児 スモッグ被害に!
  四日市市の保育園で、12名の園児が、目の充血や、鼻血、のどの痛みなどを訴えていたことが、県の大気水質課の調べで分かった。
同日の四日市地域の光化学オキシダントの最高濃度は、四日市南測定局の0.123ppmで、四日市地域に光化学スモッグ予報が発令されていた。
7日にも同じ保育園で、園児2人、職員2人が同様の症状を訴えていた。

記録「公害」

1972年
 PCBは、カネミ油症事件でその毒性が社会問題化したため、製造が中止・回収・保管などの行政指導がなされた。
1974年
 PCBは製造・輸入・使用が法律で原則禁止となった。国内では、製造中止までに
54000万トンが使用されており、保管については、事業者の保管に任されている。

1974年(四日市では・・・)
 PCBは四日市市の三菱モンサント(現三菱化学)で製造されていたが、PCBや水銀、カドミウムなどの有毒廃棄物を入れたドラム缶を鈴鹿の山林へ埋めていた。住民がさわぎ、県は60本程度と言っていたが、掘り出させることにしたら、1243本出てきて、工場内へ運びこまれた。