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忘れないために

「四日市公害はなくなった」「工場や行政、住民も努力したからよくなった」そんなことを気楽に言ってもらっては困る。
くさい魚で苦しめられた漁師。ぜんそく発作で死ぬ思いをさせられた、させられている公害患者。洗濯物がすすで汚されたり、赤ん坊が乳をはいたりで困った母親達。ついには死に追いやられた人たち。あとからわりこんできた工場のために住めなくなり、泣く泣く追い出された人たち。行政や企業に奉仕し、住民を苦しめた自治会長などなど

こうしたあまたの犠牲や被害があるにもかかわらず責任逃れする企業(行政)に、”こんな不法が許されてよいのか”と、1967年に提起された”四日市公害ぜんそく訴訟”を軸に反公害がすすめられ、マスコミや世論のたかまりもあり、ついには5年後の”原告患者側全面勝訴判決”によって、企業行政は加害者として、はじめて被害者の公害患者住民に頭を下げ、詫びた。
そうした、公害に苦しめられた人々の地平の上で公害対策が前進したことを、しっかりとおさえておかなければならない。

なぜなら、人びとを苦しめた公害発生源の石油化学コンビナートは変わることなく存在し、いまも肥大、新たにハイテク工場の誘致もやられている。

また、公害対策の基本をなす公害患者認定制度を廃止してしまったが、今後とも無認定公害患者は発生するだろうし、人々は関心を失ってはならない。企業や行政は公害対策をおろそかにしてはならない。
なによりも、水俣とならぶ公害の原点”四日市”を忘却の彼方においやってはならない。

運動しながら、その時々の出来事を撮った写真。写真としての出来ばえはよくないが、出来事としての記録には、なるのではないか。

出来ばえのよくない写真は、私や市民兵のなかまが撮ったものだけれど、出来ばえのよい写真は、たびたび四日市を訪れ、写真で公害を告発されていたプロの樋口健二さん、市民メンバーとしてともに運動してくれてもいた和田久士さん、それと鈴木元輝さんや、地元で報道写真の分野でも活躍されている三浦靖弘さんの写真である。この写真集に使うことを快く承諾されたことを感謝します。

なお、各章の扉の詩は、この写真集のために伊藤三男さんが創作、写真説明と解説の英訳は高木隆行さんがしてくれました。