塩浜小学校の校長先生の話より
「当時、煙突から出る炎(ほのお)のために、夜の車の走行に、ヘッドライトの明かりがいらなかったほど炎が明るかったし、煙突の高さが今ほど高くなかった。」
「空気のおいしい所から転勤(てんきん)してくると、なれるまで、せきが出て体の調子をくずす人が多かった。」
「校歌が変わってしまった。」
「当時、この小学校の子と他の小学校の子の体を比べると、はっきりとおとっていた。また、かぜを引くと症状(しょうじょう)が重くなった。」
「現在、学校の木の枝をかるお金がほかの学校の3倍ぐらいかかる。これは、当時のなごりで、スモッグから子供たちを守るために、木をたくさん植えたからである。しばふは、砂ぼこりをたてないようにと植えられたし、同じような理由で、スプリンクラーもつけられた。」
「当時は、50人から60人の公害病認定(にんてい)患者がいた。」
「どの教室にも、空気洗浄機(せいじょうき)が取りつけられていた。外で遊んだり、体育ができるような状態ではないとき、子供たちは、教室で過ごさなければならなかった。」
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「うがいを1日6回していた。そのうち2回を重曹(じゅうそう)の入った水でうがいをしていた。うがいの様子は、今から見れば、とても信じられないものだったろうと思う。先生たちも、必死で子供たちの体のことを考えていたから。」 (そのころのうがいの様子)
学校の窓からは、このような工場の施設が。
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