伝えることの大切さを再認識

 判決27年目の集まりは、過去の5年毎の集会とは趣を変えた講座となりました。主催は「市民塾」、参加者は教祖の動員だのみで当初の思惑からは外れましたが、量より質という感じで熱心な雰囲気に包まれていました。
 原点・塩浜小学校で校長として勤務する堀内さんはご自身の経験をふまえながら、四日市における公害教育の歴史を振り返っていただきました。今も尚残る塩浜小のうがい場は「公害を忘れないために」保存しておいてはどうでしょうか。そして、市内の小学校で実践中の阪倉さんの報告は四日市公害をどう語り継いでいくのか、パソコンという27年前には予期できなかった機器を使った作業の成果です。彼の開いたホームページには1万件に近いアクセスがあるとのこと。 新しい時代を感じさせる実践であり、各地における広がりが期待できそうです。
 お二人は同じ教職の場にありながら立場・年代ともに異なるわけですが、それぞれの持ち味を生かした貴重なお話でした。特に阪倉さんは、判決の頃小学生であったわけですから、新しい世代の登場ということで心強い限りです。

 堀内さん、阪倉さんのお話のあとはゲストを交えて参加者との質疑応答となりました。ゲストは磯津の漁師さんで四日市公害訴訟の原告の一人である野田之一さんと公害犠牲者遺族の会事務局の塚田盛久さん。会場からの質問などに答えていただく形で語っていただきました。お二人の話に共通していたのは、四日市の海のことです。四日市公害は大気汚染だがそれより先に海の汚染が始まったこと。今見た目はきれいになっているようだが、海底の汚れはひどいこと。昔の海の風景の美しかったこと。 そして、あの時代の海岸を戻してほしいという願い。
 会場からの質問はそう多くはなかったのですが、アンケートを見せていただくと判決後の27年間「反公害」の声は、やはり根強く四日市の人々の心の中に絶えることなく息づいていることが分かりました。物質文明とか繁栄とか便利さとかに人は誘惑され、魅力を感じてしまうのでしょうが、そしてそれらと引き換えだからこそ目をつぶってしまうのかもしれませんが、 決して「公害」(人体や自然環境の破壊)を望むはずはないのですから。四日市は人類史の中で忘れてはいけない位置に立っています。戦後54年目の今年、あの悲惨さを忘れたかのように、いくつかの法案が国会で可決されていくようすを見るにつけ、ますます 四日市公害をしつこくねばり強く語り継いでいかなければならないと思わずにはいられません。

市民塾/伊藤三男

あたりまえだと思っていることのあやうさ

 学習講座のトーキングの中で、「汚れた海を何とかしなければいけない」「海をきれいに」といったことの環境教育で、子どもたちに、きれいだった頃の四日市の海の映像を見せることだといった話が出ました。このとき、はて、そんな映像ってあったかな、汚れた海の映像はよく見たことがあるし、そんなビデオもあるんだが・・・と思い、こたえにならなかった。
 漁師でもある野田さんは、「汚れた海、それが海だと思っている、三重テレビの番組で、磯津の少し沖合で、タツノオトシゴが泳いでいるのを水中撮影しとったが、本来、そんなのがおるのがおかしんや・・・」このあやうさについて、少なくとも四日市では、公害によって汚されてしまったことの事実をきっちりと教えることがあって、環境教育は成り立っていくのではないか?

市民塾/澤井