リストマーク 四日市公害歴史資料館について(試案)

市民塾での話し合いから市への要求として

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サンプルイメージ 日市公害資料館の必要性に
ついては、だれも否定はしないだろう。もちろん、四日市公害ぜんそく裁判の果たした意義、役割などについて知っている。理解しているということがあってのことだが、裁判を知らない、理解していない人でも、「四日市市史」の第15巻、史料編現代Uと、第19巻通史編現代や、四日市市が5月からはじめたホームページ「公害資料館」、あるいは公害市民塾のホームページを見てもらえれば、十分に納得してもらえる。
 

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  てそうはいっても サンプルイメージ
今すぐに資料館を建ててくれと言っても無理だろう。かといって、財政事業がよくなるまで、なにもしないで待つというのは後退の思想で進歩がない。いつか実現することを目指して、いまのうちから資料館の構想だけはまとめていくべきだ。

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サンプルイメージ 格的な資料館構想とは別に
次善の策として、四日市市環境学習センターを、公害歴史学習センターに衣替えする。

 四日市市史編さんが今年度で終わる。これまで収集・整理・保存した資(史)料はどこへ行くのか。環境学習センターが保存するといっても、貴重な公害史料は、センターにはなじまない。

環境学習はどこでもできるが、四日市公害歴史学習、公害に関わる人権学習は、四日市でなければできない。
どこでもできる環境学習について、四日市に、県立と市立の環境学習センターが2つもいらない。環境学習は、桜地区にある三重県環境学習センターで統合してやればいい。
 

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  日市市が、HP サンプルイメージ
 「公害資料館」の情報発信をはじめた。内容も、これまでにみられなかった充実した内容となっている。「公害市民塾」のHPの経験からいえば、多い日には、1日に1000件のアクセスがあったり、質問、資料提供、あるいは語り部依頼などのメールが送られている。市のHPにも、おそらく、そうしたメールが送られて来るに違いない。そうしたときに、「発信するだけ」では無責任。資料を持つ公害学習センターがそれにこたえていくべきである。
 そうはいっても、市のスタッフだけでは応じきれないので、「語り部ボランティア」グループを設ければいい。
 語り部ボランティアは、公害問題を経験した、教師、行政職員、工場労働者(いずれも退職者)や、公害患者と家族、といった人に呼びかけて登録してもらう、一般にも呼びかける。

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サンプルイメージ 境学習センターは4階
環境学習センターは4階にあるわけだが、本町プラザの中で、このほかにも公害学習センターとして使える部屋を確保、現在進行形の四日市であり、市史編さん終了後も、資(史)料収集・整理・保存を継続していく。

戦後の大気汚染公害についての原点ともなる四日市ぜんそく訴訟は、患者側も、企業側も、各分野にわたっての証拠となるべきものを裁判所側に提出、それらにもとずいての判決文と、大気汚染公害を明らかにする第一級の、いわば宝物が、津地裁四日市支部に永久保存として保管されているので、市立公害学習センターに払い下げをしてもらうよう裁判所に要請する。
 

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  もあれ、四日市は サンプルイメージ
戦後大気汚染公害原点の地であり、今後とも四日市公害は学び続けられるので、環境省や環境事業団などに、行政として資料館づくりの助成をはたらきかけるべきである。

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サンプルイメージ 勢志摩の観光が衰退
しているという。1980年代、小、中学校の修学旅行で、「伊勢志摩へ行くのだけれど、同じ三重県の中に四日市があるので、1日、四日市へ寄って公害のことを現地で勉強させたいので世話してほしい、県外の学校から頼まれたことがある。水俣病資料館はいまや修学旅行のメッカとして、多数の来館者があるという。よっかいちも、公害学習の拠点ができれば、伊勢志摩と汲んでの、観光と学習の修学旅行の目玉となるんではなかろうか。三重県とも組んで、そうしたコースをHPで発信すればよい。
 

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