公害訴訟の教訓生きず |
澤井余志郎
宮沢賢治の童話に「狼森と笊森、盗森」がある。これらの森と黒坂森に囲まれた大地に人々がやってきて、四つの森に向かって「ここへ畑起こしてもいいかあ」「家建ててもいいかあ」と叫ぶ。「いいぞう」と四つの森がこたえ、人々は畑を作り、家を建てた。 この童話は、都市計画や、工場・施設などの誘致、建設は、こうでなければならないという心理を語っている。 このように「いいかあ」「いいぞう」という、しごくあたりまえのことがなされていれば、四日市公害はひどくならずにすんだ。 工場が公害の原因になることを住民に知らせず、排煙によって環境にどのような影響が出るのかを調べないで行政と企業は工場を建てた。被害が出ても、まともに被害者の声を聞こうとしなかった。 四日市公害は、裁判で被害者側(患者、住民)が勝訴することによって、加害者側(工場、行政)は本腰を入れて公害対策に取り組むようになった。市は92年、“二度と公害を起こさない”との「快適環境都市宣言」を行った。 しかし、公害は亜硫酸ガスだけで起きるものではない。公害の原因になった工場を四日市に造った行政の手法こそが問われなければならない。私たちが提案する「公害歴史資料館」の柱の一つだ。 県知事と四日市市長は「生活者起点」「住民の視点」「情報公開」「市民との協働」など、目新しい政策を唱える首長に代わった。 しかし現実は、あいもかわらぬ住民軽視の古い体質の行政がまかり通っている。 昨年くれから問題となっている四日市市小山町のガス化溶融処理施設がそれである。 四日市公害の手法が、ここでもくり返されている。“二度と公害のあやまちをくり返さない”との快適環境都市宣言は何だったのかが、厳しく問われなければならない。 過ちの歴史を検証する学習の場としての公害歴史資料館は、水俣と並ぶ公害の原点・四日市市に造られてしかるべきものであるとあらためて思う。 |