宮本憲一氏 来四日市

 四日市公害裁判で、原告側証人として実態を告発した宮本氏が四日市へ来られた。
 四日市市職員労働組合が、機関誌新年号の企画“組合員との新年対談”で、昨年12月18日、宮本先生をお招きした。
 市職労役員からそのことをお聞きしたので、11時前、役員と近鉄四日市へ出迎え、磯津などを車でまわりながらお話しした。

 久しぶりに見る公害地、公害裁判の判決からでも30年近くたっており、公害地域再生がはかられているはずなのにと思っておられたのか、「 変わってませんなあ・・・」 とおっしゃっていた。

 午後から、 市職労会議室で対談(その間、私は小学校5年生の公害学習資料提供と打ち合わせで小学校へ)。3時半頃対談が終了したので、四日市市史編さん分室へお連れし、市史編さんに備えて集めた史(資)料、特に公害に関係した部分をみていただいた。
 市立図書館長を退職後、市史編さん室で資料整理に関わり、見事に整理・目録化された藤波さんの説明に感じいっておられ、公害資料館の必要性にもふれておられた。

 この日、宮本先生には、いろいろとお話を聞くことができたが、四大公害裁判の中で、四日市ぜんそく訴訟だけが、総合的な資料集成(刊行)がなされていないのは残念といったことを言っておられ、そう言われてみるとその通りで、公害四日市の教訓を生かしていく上でも、資料館ともども、実現が望まれる。
                                          (沢)