2000年12月8日 野田・沢井

磯津の漁師で、四日市公害ぜんそく裁判の原告患者の野田之一さんと、沢井余志郎の2人は、このところ”語り部”として動いているが、その2人が、太平洋戦争をはじめた日にあたる12月8日にやったことの記録。


久居市立榊原小学校へ

 10月26日、5年生18名が、磯津の塩浜小学校へ社会見学にやってきて、公害学習をやった。
 11月22日、野田産を学校へ招いての学習をした。
 そうした学習をもとに、子どもたちでシナリオ「四日市公害を考える−野田さんとの出会いから−」を作り、全学年それぞれによる「人権集会」での発表を行うので観に来てほしいとの誘いをうけ、12月8日の朝、2人で行った。発表会には保護者の方も来ていた。
 シナリオづくりは、4場面を設定、クラスを4グループに分けておこなった。

  • 1場面 石油コンビナートを迎え入れる「四日市の希望」
  • 2場面 公害の現状・・・環境・・海、魚、人間の異変
  • 3場面 このままでは死んでしまう「公害訴訟に」
  • 4場面 これからの四日市 これからの私たちの願

 こうした指導は、担任の中川敬子先生の情熱があってのことだが、浅生幸子校長や同僚の先生たちの援助協力もあり、発表会では、場面場面で効果的にビデオ放映が挿入されたりで効果を上げていた。
 感想を述べろと言われ、2人とも壇上で短いあいさつをした。もちろん、感心したことを述べた。
 野田産は、5年生一人ひとりと握手をして「陽やった」とほめていたが、わざとらしくはなく、後で、校長さんや中川先生に「野田さんと子どもたちが大変中がよいので、やきもちをやいてしまいました」とグチッてしまった。
 今回の公害学習について、担任の中川先生は、第5学年総合学習指導案の中での“私たちの環境問題”の目標の一つに、

榊原の環境を見なおす中で、榊原の環境の良さを実感し、環境を守ることについて再確認する

ことを挙げているが、まさにこれこそが“ 公害という事実を見据えての環境教育”だと思った。
 公害よさらば。ケナフです。分別ゴミです。自然観察です・・・・これが環境教育ですでは、あまりにも安っぽすぎるのではないだろうか。


国際環境技術移転研究センター(略称・アイセット ICETT )

 野田さんは、まだ一度も行ったことがないと言うので、昼過ぎ、榊原小学校からICETTへ行った。
 玄関に、たまたま、3月まで市環境保全課の課長補佐をしていて、4月からICETTの企画部長として転任した生川貴司さんが居たので、生川さんの案内で、研究室や宿泊施設などを見せてもらい、西川周久理事事務局長と話し合った。
 公害防止装置などの技術開発・取り付けは、野田さんたちのようなひどい被害者の発生、公害裁判での被害・加害の事実解明などがあってやられたことであり、ICETTでも、このことをふまえ、中国や東南アジアなどから来る研修生に、四日市公害の被害・裁判・運動などについての学習も必要ではないかといったことを言い、四日市という大気汚染公害の原点の地で、市は「環境学習センター」県は「環境情報学習センター」をつくり、 ICETTは夏休みに子ども対象の環境学習があり、環境教育は花盛りだが、三者に共通しているのは、“公害抜き”。こんなことでいいのだろうか。

 水俣市は、“水俣病という負の遺産”を財産にしていの水俣市再生をはかり、水俣病資料館を拠点として、国内はもとより海外からも注目を集めている。
 「水俣と並ぶ公害の原点・四日市」の再生は、果たされるのか。
 ICETTのあと、隣にある県の環境学習センターにも寄ってみたが、ここも、相変わらずの公害抜きで、 大きな地球が入り口でひっそりとたたずんでいた。


青法協(青年法律家協会)の研修集会へ

 この日(12月8日)の午後、近鉄四日市駅西側の“じばさん三重”(三重北勢地域地場産業振興センター)で、「公害・環境事件から学ぶ青法協の役割」をテーマにした集会があり、四日市公害訴訟弁護団事務局長の野呂汎弁護士は「四日市公害」について報告・提起をするので、地元関係者として、野田、沢井が出席して、現状などについて話すようにと野呂弁護士から連絡があり、15:30に行った。
 野呂弁護士は “四日市公害訴訟はいかに闘われたか”と題しての報告で、野田さんは「公害裁判をやった、勝訴したおかげで死なずにすんだ」沢井は「公害裁判の果たした役割などの事実を継承していくために語り部をしている」と話した。