今の四日市をいいあてている題名のルポタージ

  昨年の夏、菰野町のある中学校の先生から、「北海道の友人が四日市公害を知りたいとやってきますので、会ってやってくれませんか」と頼まれ、その日、自宅で資料をわたして話したあと、車でコンビナート地帯を見てまわり、塩浜小学校へ寄って校長さんに話しを聞いたりもした。

 そのA・佃崎さんこと山田さんから、1年たった今年の夏、ルポの載った『路上』を送ってくれた。山田さんは函館のある小学校にお勤めの若い方で、ルポタージュは、事実にのっとって大部分が書かれているが、所々は創作めいたのがあり、その事実を際だたせている。

 A・佃崎さんは、四日市を最後に、いわゆる四大公害と言われる地をひと回りしたわけだが、文の最後で、「結論は、あまりにも個別的な問題に矮小化されていることへの驚き。それは、新潟水俣病も富山イタイイタイ病であろうと、熊本水俣病であろうとも、地元の人々には、過去の歴史上の出来事であり、今は、再建された新しい自治体として忌まわしい過去など振り返る必要などいらないのである。人々は、それほど、本当に過去を忘れたいのか。足尾鉱毒事件は百年たっても研究が続けられている。そして、今なお、無惨な岩肌があらわになり、東洋のグランドキャニオンと揶揄される。考えれば、水俣病もイタイイタイ病、公害ぜんそくなど、どれをとってもまだ始まったばかりのことなのである。

 『四日市にはまだ公害患者がいる。この人たちがいる限り、四日市公害は終わっていないんですよ』最後に、沢井が語った言葉が印象的だった。」と結んでいる。

 

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