元NHK四日市通信部放送記者 栗田龍麿氏
判決日も法廷で取材、現地実況放送で判決について報告・解説する。
磯津へは、工場が出す煙が到達しないという風洞実験モデルを裁判で取り上げたときのこと
「実験したことと、実測値では、どちらが正しい?」と聞かれ、被告側は、「実験したこと」と答える。しかし、実際に外で見られる煙は、実験のようにはなっていないところをつかれた。「あの煙は、実験のように出ていない。こう出ているが、どう説明するか。」と問われて万事休す。
工場の出す煙(亜硫酸ガス)がぜんそくの原因と断定できると動物実験の結果を発表すると・・・
被告側から、「動物の病歴は調べたか」と聞かれ、あきれかえる。
9人の原告
漁師として働いている人は、ぜんそくであると公になかなか言えない立場であった。言えば、船から降ろされるかもしれないという不安が常にあった。にもかかわらず、裁判に訴えていった。現地の磯津では、なかなか裁判に訴えたことに対して、理解してもらえない状況がたくさんあった。原告9人、特に、野田氏の姿が裁判を通してどんどん変わっていった。はじめは、不安だらけであったが、裁判が進むにつれて、顔を上げて堂々と話すようになった。
弁護団
初めのうちは、本当にて弁当でやっていた。まさに、ボランティア。夏には裁判が行われないので、合宿をする。その中で、各企業の技術者に勝つために、理論構成を組んでいった。患者や磯津にほんとうによく足を運んでいた。
マスコミの力
マスコミは、徹底して企業側をたたいた。被告側の言い分は、ほとんど取り上げてこなかった。眼前としてある公害を完全悪として書き立てた。今では、考えられないことであるが、時代の流れとしてマスコミのこの姿勢は間違いなかった。今となれば、企業側にとっても良い結果になった。
田尻氏登場
石原産業硫酸垂れ流し事件のときの強制捜査と名古屋通産局を家宅捜査するという特ダネ情報
家宅捜査は、検事側の躊躇でなかなか行われない。通産省を捜索するとなると、よっぽどの証拠が必要となる。そこで、検事は二の足を踏んでいた。田尻氏は、ここで、大きな賭に出た。
この事件に関する詳細な資料を野党側に提供し、当時、総理大臣の佐藤栄作氏と通産大臣の宮沢喜一氏に、公害対策を約束させた。このときの資料提供は、田尻氏の職権を利用したものであり、法に抵触するすれすれの行為だった。
もうこれ以上、企業のイメージを落とすことはできない状況に来ていた。そこで、二次訴訟を受けるよりも直接交渉による金で解決しようという戦法に企業側が切り替えてきた。
公害イメージをなくすために、二次訴訟は、企業に買われてしまった。
こぼれ話
四日市市長である井上氏が、当時弁護士として四日市公害を支えていたらしいのだが、顔を全く覚えていない。