今年7月4日は、田尻宗昭さんが亡くなられて10年になります。 公害Gメンとなって、公害たれ流しの工場を摘発するだけでなく、住民運動にも積極的に関わってこられた田尻さんが亡くなって10年になります。「四日市はふるさとです。」と常々言われていたことを思い出しますが、その田尻さんについて、公害裁判もそうですが、人々の記憶から薄れかけていることを残念に思います。 田尻さんは、ご自身が関わった事件、運動について、岩波新書だけでも、「四日市・死の海と闘う」「公害摘発最前線」「海と乱開発」の名著がありますが、現今の出版事情で絶版となっています。
田尻さんの偉業を受け継いでいくためにも、10年の節目の年に考えをあらたにしたいものです。 |
コスモスの会の文集『コスモス』第3集 発刊四日市女性センターの援助・協力もあってでのようですが、昨年12月1日付で、B4判、102頁の第3集が発刊されましたが、子の文集に、清水民子さんが、「塩浜石油コンビナート」「鹿児島県パネル討論会」や、公害訴訟を支持する会代表委員だった吉田うたさんの「まだらボケの上高地行」などの文章が載せられています。吉田さんは「女性で公害反対・裁判応援などした人たちは今どうしているのでしょうね。公害風化の今こそ公害の記録を、こうした文集ででも残しておくべきだと思うけどねえ。」と言っています。
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