四日市公害を核とした「総合的な学習の時間」
総合的な学習の時間と四日市公害 「総合的な学習の時間」が学校で実施されることになり,その中で,パソコンを使った授業が増えているようです。子どもたちが自ら,市民塾のHPにアクセスしてきて,四日市公害について学習したり,質問をメールで送ってきたりしています。
「総合的な学習の時間」として四日市公害をどのように学んでいるのかを,今まで塩浜小学校を社会見学に訪れた学校の実践を通して考えてみたいと思います。
5年生の社会科で公害学習が10月頃に行われています。そこを出発点として,「総合的な学習の時間・四日市公害から学ぶ」が始まっているようです。社会科の中で,四日市公害を進めていくうちに出てきた子どもたちの疑問を整理するために,塩浜小学校を訪れ,見学や患者さんからの聞き取りを行っていました。
ほとんどの学校が,社会科の公害学習の発展として「総合的な学習の時間」を位置づけていたようです。
ここからは,草分京子氏の実践を中心に考えてみたいと思います。 草分氏は,「 総合学習は,特設された時間のために,無理に“作り出していくもの”ではなく,豊かな学びの中から“生まれ出てくるもの”だ
としています。
学習を進めていく中で,「 人を殺すほどの大気汚染が,どんなものだったんだろう?野田さんたちが闘った四日市公害って何だろう?」
という,子どもたちの思いと, 「公害から命を守るために立ち上がった人々のことを知り,裁判を闘ったいと人に学ぶことで,健康な暮らしや環境保全は私たちが力を合わせて行動することで守っていけるものだということを感じ取ってほしい」
という,教師の願いを重ねていきます。
そのために,「公害学習の聖地」である塩浜小学校を訪れ,公害裁判原告であり認定患者である野田之一さんに子どもたちを出会わせています。
「なんとかしなきゃ殺されると石油の工場相手に闘ってきたが,私は漁師なのに,私自身も石油製品を使って海を汚している。みなさんにきれいな海・自然を残してやれず,あやまりたい。どうぞみなさんの力で,きれいな自然を取り戻してほしい。」
という野田さんの言葉を子どもたちとともに大切に話しあい,四日市公害を遠いところの問題として考えるのではなく,自分たちの問題として考えるようになっていきました。そして,子どもたちは,豊かな学びを自分たちから進めていきます。
「海への遠足から,校区の川の調査へ」や「樹医さんと校庭の木調べ」などの取り組みを通して,自分たちの身のまわりにいる自然を守る人との出会い,自分たちにできることを探していきます。ここまでは,子どもたちが自分たちできることを個々に探してきて,リサイクル活動を呼びかけたり,ペットボトル工場に連絡を取ったりしながら,調べ活動が続いていきます。やがて,大きな課題にクラスが取り組んでいくことになります。
自分たちの町の自動車解体工場から出ている産業廃棄物の問題に子どもたちがぶつかってから,また新たな「学び」が生まれていきます。
「車って,作るときはすごい仕組みやなあって思って見学していたけど,最後は絶対壊れるのに,そのときにどうするんだろう。作られた分だけは壊れるんやから,造っている工場でも,壊れたらどうするんだってもっと考えていかなきゃいけないと思う。作っているだけでは無責任。どれだけ牛乳パックやトレイ集めて,リサイクルしてても,車一台壊れて,それがエンジンもタイヤもまともにリサイクルされないんじゃ,なんか努力してむなしいと思う。」
と,今まで自分たちが取り組んできたことをもう一度見なおしていきます。
一方,草分氏自身も,「それまで私自身が思い浮かべていた工業学習は,どんな仕組みでどんなふうにどんな人たちが「製造」しているか・・・と,「製造」だけに考えがいっていたような気がする。四日市公害を学び,産業廃棄物の問題にぶつかって,製造されたものがどんなふうにどうなっていくのか,製造とはまた逆の流れを考えていかなくてはならない時期じゃないのかと,強く思うようになっていった。」と,教師自身の考えを見つめ直し,子どもたちとともに,新しい学びの創造に向かっていきます。
クラスは,M中間処理センターの学習に取り組みます。そこで,子どもたちは,話しあいを進めていく中で,「製造」とは,「逆の流れ」を考えていきます。
「工場から産業廃棄物を積んだ緑の車が来て,すぐに最終処分場へ行く車が来ているから,働いている人は一生懸命やっていると思っていても,どっさり積まれた廃棄物の中からリサイクルできるものを十分に探せないんだと思う。はたらく人の人数をまず増やして,3台分よりももっと多くリサイクルできる代にしたらいい。でも,やっぱり一番いいのは,工場とか自身で責任を持つことだ。たとえば自動車会社なら,車を作るだけじゃなくて,車の解体や再生産にも責任を持つ。徹底的に分別して,それでもリサイクルできないものがあったら,中間処理センターへ持っていけば,何とか産業廃棄物も減ると思う。」
さらに,「嬉野にもあった住民運動」へと学習は進んでいきます。
「 私は嬉野町に住んでいるのに,四日市コンビナートの時のようになっているなんて知らなか った。四日市は目に見えるような煙やスモッグだったけど,産業廃棄物は土や水にしみこんでじわじわと被害が広がっていく感じ。いろんな反対運動は,四日市のコンビナートでもめたときと同じじゃないかと思う。反対するのがコンビナートの時より早くて良かったけど,こんな近くの宮野でも,こんな問題があるなんて・・・。産業廃棄物のことだって今のままではいけないし,人間ってなにかの繰り返しをしているみたい,と変に思いました。」
子どもたちは,あやまちを繰り返さないためにはどうしたらいいのだろうかと,「四日市公害の学び」にかえっていきます。
草分氏は,学習を振り返って,「工場も少ない中原で,いったいどんな工業学習ができるのかとはっきりした見通しもないまま,社会見学から始まった学習である。野田さんの言葉が心に残り,調べだし動き出して,産業廃棄物の問題にぶつかり,「昔のこと」「四日市のこと」と思っていた問題が,私たちの町にもあったこと,それは今の社会問題にもなっている大きなことだということを知って,これからも考え続けていかなきゃと学び続けてきた。」と結んでいます。
「四日市公害を学ぶ」ことを核に据えた「総合的な学習の時間」は,私たちの生活のあり方や社会のあり方を見直し,子どもたちや教師自身の変容も可能にする「学び」になりうるのです。
|