2004年度課題別・問題別教育研究大会「環境(公害)と教育」分科会

                                      

 

四日市公害と人権〜忘れないように〜

 

四日市市立保々小学校  田中 敏貴

                                         

 

1.はじめに

 教員となって保々小学校に赴任した時、「四日市でも米が作れるんやあ。」と素直に驚いた。国道23号線や近鉄線から見える風景しか四日市のことをしらなかった私は、子どもの頃からずっと「四日市=公害・ぜんそく」というイメージを持っていた。3年生の担任となった赴任1年目のある日、社会の授業で四日市公害の話題が出てきたことがあった。その時、子どもから「四日市の魚って、今は食べれるの?」と質問された私は、答えることができなかった。子どもの頃から同じ三重県で暮らしながらも、四日市公害について何も知らない自分がいた。教師として、まずは自分が学ばなければと思った。

 

2.H13年度の実践「四日市公害と人権〜人との出会いから〜」

 5年生の担任となった赴任2年目、社会科の学習で四大公害が出てくるにあたって、自分も四日市公害について学習をしなければと思った。資料に目を通したり、四日市公害の原点となった磯津、そして塩浜地区を隣の学級の先輩教員に案内していただきながら、公害がひどかった当時の状況や裁判のこと、そして今でも反公害の活動を続けておられ、四日市公害認定患者であり裁判原告者の一人である漁師・野田之一氏や、30年以上にわたり反公害運動を支援し、四日市公害を記録し続けてこられた澤井余志郎氏のことを教わった。またその時、子どもたちが学習していく為の教材や資料が十分に揃っていないことも同時に感じ、どうやって学習を進めればよいのか悩んだ。
  ≪学習のねらい≫
 野田之一氏と澤井余志郎氏、お二人のお話やいろいろな資料からは、ぜんそくに苦しむ患者のナマの声や、健康なくらしや人権を守るために団結して行動した人々の姿、一方であった公害病患者に対する周囲の偏見といった、公害のありのままを学ぶことができると考えた。また、四日市公害を学習する中で見えてくる環境問題・人権問題は、当事者だけでなく一人ひとりの問題であり、残された自然や私たちの健康なくらしと人権を守るために、自分に何ができるかということを考え、子どもたち一人ひとりが自分の生活や生き方に学びを返していける学習が展開できると考えた。
≪学習の流れ≫
@漁業の学習
 水産業の学習をするにあたり、野田之一氏から漁師の仕事、その楽しみや苦労、命を落としそうになった体験などについてお話を聞かせていただいた。海から離れたところにある保々の子どもたちは、「おじさんはかっこええ言葉で言うと海のハンターや。」「サメはおいしいでえ。」と生き生きと話される野田氏のお話に、目を輝かせて聞き入っていた。
A野田さんのもう一つの顔にせまる
 野田氏の四日市公害認定患者としての半生を取り上げたTV番組を子どもたちに紹介した。番組を見た子どもたちは、「四日市公害を学習して、もう一度野田さんに会いたい。公害について話を聞きたい。」という願いを持った。

B社会見学に向けて
  まず、澤井余志郎氏よりいただいた数々の資料をもとに、子ども向けの四日市公害学習パンフレット「四日市公害と人権」を作成した。それを軸にしながら、四日市公害記録写真集やVTR、公害患者や家族の作文などを合わせて学習を進めた。またパンフレットの構成にあたっては、「野田さんにもう一度会いたい。」という強い願いを持っていた子どもたちがより意欲的に学習できるようにと、公害発生〜裁判勝訴に至るまでの流れについて、その時々に野田氏が残しているセリフをいろいろな資料から抜粋してまとめ、子どもたちがもう一度会いたがっている「野田さん」を追いながら学習を進めることができるようにした。そうした流れの中で子どもたちは「これから大人になったら、ぼくたちが公害のこととかを伝えやなあかんと思う。」と、野田氏のメッセージを受け取っていった。
 
C社会見学
 当日の見学は、澤井余志郎氏にガイド役をしていただいた。塩浜小学校展望室からの風景と、うがい場を見学させていただいた後、塩浜小の一室をお借りして野田氏・澤井氏のお二人からお話を聞かせていただいた。その後、磯津漁港で野田氏の漁船や港の様子を見学し、海岸でお弁当を食べた。「君らこんなの見たことないやろ。」と、あらかじめ捕まえてあったエイを見せてくださったり、子どもたちの輪に入って積極的に話をくださる野田氏に対して、子どもたちは大喜びであった。別れ際、教師の注意も聞かずに野田氏のスクーターをいつまでも追いかけていく子どもたちの姿が特に印象的だった。

D学習発表会に向けて
 春から学習してきたことや、野田氏・澤井氏から学んだことを地域に広める目的で行った学習発表会では、春から「総合的な学習の時間」を使って行ってきた米づくりや、コスモス畑の巨大迷路づくりなどの体験学習についてのプレゼンテーション、公害問題や身近にあるいじめ問題をテーマにした劇などに取り組んだ。中には小さい子にもわかるようにと、友だちとの関わりの中にある身近な問題を、絵本や紙芝居にして保幼の子どもたちに読み聞かせをするグループや、学習発表会を地域のみんなが仲良くなれる楽しい場所にしようと、的当てゲームやボーリングゲームコーナーを作ったり、コントやダンスを披露するグループもあった。
 練習では発表内容がなかなか決まらなかったり、すぐにケンカになったりと、協力して一つのものを作り上げる難しさを感じていた子どもたちであるが、本番では大勢のお客さんが見守る中、子どもたちなりに精一杯の力を発揮することができた。また、大勢の人前で発表できた喜びと、気持ちを人に伝えるという難しさを同時に感じていたようであった。そして何より当日は、野田氏・澤井氏にも会場に足を運んでいただいたおかげで、子どもたちにとって思い出深い発表会となった。
  3.公害教育を推進するにあたっての課題と、
 
H16年度の学習計画「四日市公害と人権〜忘れないように〜」
 赴任5年目になり、2度目の5年生担任となった本年度。秋には四日市公害の学習を入れたいと考えているが、今の四日市には野田之一氏や澤井余志郎氏という一部の方が、いろいろな小中学校からの社会見学依頼やその現地案内をボランティアで一手に引き受けてくださっているという厳しい状況がある。しかも他市や他県からの見学や問い合わせが多く、市内の小中学校からは少ない。
 公害体験をナマの声で直接聞き取るとことができるという学習は、本当に魅力的である。しかし今、語り部は他におらず、子どもたちが当時の話を直接聞き取るということはできにくい。また子どもにとって学習しやすい資料が十分に揃っていないという現状があり、そのことも市内の学校で取り組みをしにくい1つの原因になっているように感じる。そんな中で、公害を直接知らない自分のような立場の教員が、これから先も子どもたちに四日市公害を語り継いでいくためにはどうすればよいのかと考えた時、やはり子どもたちと共に学習していける資料が欲しいと思った。そして今回、以前5年生を担任したときに作成したものをベースに、学習パンフレットを再度作成した。
 今後は、作成したパンフレットを軸に、目の前にいる子どもの状態に応じて必要なワークシートや資料を追加作成したり、自分たちの生活と結びつけて深めさせたい所などを学年で相談しながら学習を進めていきたと考えている。 

4.おわりに

 赴任一年目に子どもから四日市公害のことについて質問され、何も答えられなかったことをやはり思い出す。子どもにとってだけでなく、私自身にとっても経済・行政の問題が密接に絡んだ難しい中身であり、いかに自分が世間知らずであるかを毎度痛感させられる。しかし、かつてこの四日市で公害問題が大きくクローズアップされ、訴訟にまで持ちこまれたこと、そして今でも500人以上の人々が公害病に苦しんでいること、過去の教訓を生かしてそれぞれの立場の人間が、今日の青空を取り戻す為に力を注いできてくれたおかげで今の私たちの生活があることを、四日市における“負の遺産”として子どもたちには伝えていかなければならないと思う。やはり四日市公害を抜きにして四日市の環境は語れないのではないかと、子どもたちを前にしながら素直に感じている。
 判決から30年以上が経ち、四日市公害は次第に忘れ去られようとしている。教師である私自身、公害を直接は知らない。しかし決して過去の事ではない。環境問題というものを人と人とのつながりや自分の生き方も含めた大きな問題としてとらえ、その場限りの取り組みに終わらない、子どもたちの心に残る学習をしていきたいと思う。そして環境を守るということが、結局は私たちの健康で住みよいくらしと人権を守ることにつながり、一人ひとりが大切にされる世の中をつくっていくことにつながるのだということを子どもたちには伝えていきたい。過去の教訓をこれからも忘れないように…。