1.社会科学習指導案 
 
T.小単元名  工業と公害−四日市ぜんそくを核にして−
 
U.単元設定の理由
・指導の立場
 日本の『高度経済成長』は、1955年(昭和30年)頃から始まり、1971年までに国民総生産を4〜5倍に押し上げた。とくに、機械・金属・化学などの重化学工業の発展は著しく、国民生活をより豊かにしていった。
 しかし、その歪みとして、全国いたる所で、大気汚染・海洋汚染・地盤沈下・騒音などの『公害』が引き起こってきた。国の重化学工業化政策は、産業の発展を優先させることにより、自然や国民生活を破壊し、水俣で、富山で、四日市でたくさんの尊い人命までをも奪うようになっていったのである。
 四日市市では、国の重化学工業化政策を受け、昭和35年、塩浜地区に日本初の石油化学コンビナートを建設した。地場産業としての万古焼きや伊勢水(菜種油)・紡績工場の町であった同市では、砂浜を埋め立てた海岸地帯に工場を次々と建設し、『緑の山と白砂の町』から『煙突の町』へと変貌していった。石油コンビナートの建設は、「工場が来れば市が発展する」「生活をつくる石油化学」として大勢の市民に歓迎され、コンビナートの煙突から出る炎は「百万ドルの夜景」としてもてはやされたのである。
 しかし、コンビナート工場群からの排水は、漁業権を放棄した四日市港のみならず、対岸の磯津地区漁民の生活の場である磯津港をも汚染していった。そこでとれる魚貝群は、「油臭い魚」として全国の市場からボイコットされた。収入の道を閉ざされた磯津地区漁民は、対市・県・工場との団体交渉や水門封鎖などの抗議行動を引き起こした。
 また、林立する煙突から吐き出される亜硫酸ガス(二酸化いおう)は、季節風によって流され、悪臭を放ちながら付近一体を汚染し、周辺住民の生活や健康を著しく害していった。それにより、昭和30年には一人もいなかったぜんそく重症患者が、40年には200人を超え、50年代には1100人に達し、多数の自殺者や死者を出すに至ったのである。
 ぜんそくの原因がコンビナートの煙突から出る亜硫酸ガスであることをつきとめた被害者たちは、幾度も対市・県・工場との団体交渉やデモなどの抗議行動を試みた。その結果、学校や病院への空気清浄器の設置・公害病認定制度の発足・テレメーターによる大気汚染の常時監視・三重県公害防止条令の制定など一応の改善は見られたものの、公害患者の医療費負担要求は企業から拒否され、市議会では、霞が浦埋立地に第三コンビナート誘致の強行採決がなされたのである。
 磯津地区公害認定患者9人は、「これから生まれてくる者たちや現在働いている若い世代をぜんそくの苦しみから救い、平和の礎になる」という願いから、第一コンビナート6社を相手に、精神的苦痛に対する損害賠償を求める訴訟を走こした。
 これは、日本で初めての公害裁判であり、この勇気ある行動は、イタイイタイ病や水俣病等の公害裁判を定こす原動力になったのである。そして、『公害を記録する会』『公害患者を守る会』『公害訴訟を支持する会』『公害と戦う市民兵の会』などの市民運動団体の支援を受け、5年という原告にとっては非常に長い年月(この間に原告患者2人が死亡)を経て、昭和47年7月24日、原告側の全面勝訴を勝ちとったのである。
 この判決を受け、市や県では、公害病認定患者の治療無料化・公害防止条令の見直し・工場への指導の強化・大気汚染の判定局の設置などを行い、工場側でも患者への保障・有毒ガスを出さない燃料や設備の工夫などを行ってきた。
 その後、四日市市は、大気浄化植物(夾竹桃・カイヅカイブキ)による緑化が進み、二酸化硫黄濃度も目標値を下回り、『星空の町』に認定されるほどに青空を取り戻しつつある。また、市役所の公害対策課は環境保全課と改名され、昭和60年からは公害病認定制度が廃止されている。
 しかし、失われた尊い人命は二度と戻ることなく、いまなお700人以上(1997年現在)の人が公害病認定患者として、重症のぜんそく発作に苦しめられているのである。
 さらに、コンビナート近くの地底(通学路にさえも)やコンビナート間を結ぶ海底には、石油や天然ガスのパイプラインが張り巡らされ、火災や爆発の危機にさらされている。クリーンエネルギーといわれる天然ガスを燃料とする火力発電所も新たに建設され、国道を通る車やその発電所から排出される二酸化窒素濃度は、徐々にではあるが増加してきており、新しい公害を引き起こしている。
 「裁判では勝ったが、青空は回復していない。ほんとうの青空を取り戻したときに改めてお礼のことはを述べたい」と語った原告患者代表は、その後、「裁判は、実質的に企業側の勝利に終わった。企業側は、金さえだせば何をしてもいいと思っている。」と語っている。
 現在、海外進出している日本企業による自然破壊や環境汚染が問題になっている。また、子どもたちのまわりでも、車の排気ガスによる大気汚染や酸性雨の問題がでてきている。
 本単元では、産業優先政策の中で、自然や住民の生活や健康が蝕まれていった事実を子どもたちに考えさせ、公害病患者や地域住民の苦しみや願いを実感を持ってとらえさせたい。そして、企業や行政に対しての責任追求にとどまらず、コンビナート誘致の時点で賛成した地域住民、および、市の就業人口の三分の一を占めるコンビナート工場群の従業員とその家族、企業からの恩恵を考え反対運動に参加しなかった多くの市民、「公害病はうつる」という偏見で公害病患者を差別した市民もまた、公害を引き起こし拡大させていった原因の一端を担っているのではないかと考えさせたい。
 そして、今後このような公害を引き起こさないためには、住民の一人一人が自己本意な考えを捨て、環境保全・生命尊重の意識のもとに行動しなければならないことを考えさせていきたい。
 今もなお、四日市公害を監視し記録し続ける『公害を記録する会』澤井余志郎さんの「公害運動を風化させてはならない。先生にお話しすることで、ひとりでも多くの子どもに知ってもらえたら……」という言葉を胸に刻んで、指導にあたりたい。
 
V.児童について
 子どもたちは、伝統工業・自動車工業・工業生産と工業地域の学習を通して、自分たちの生活がこれらの工業製品により便利になり向上してきたことを学んでている。しかし、環状線の完成による交通量の増加や宅地化による緑地の減少が見られるものの、則武校下が自然に恵まれた地域であり公害による深刻な被害を受けていないことや、四大公害病が問題になっていたときに比べ公害問題がマスコミに取り上げられていないこともあって、工業化の弊害としての公害に対する関心や知識は低い。
9月末に実施したアンケート調査の結果は、次のようである。
 
@「公害」について知っているか。
◇知っている……7人
・言葉の意味 1人
 四大公害 3人
 公害の種類 4人
・聞いたことがある……9人
◇知らない……13人
A自分のまわりに「公害」があると思うか。
◇ある ……8人
・排気ガス… 5人
 川の汚れ …4人
 煙… 2人
 農薬…1人
 酸性雨……1人
◇ない……3人
◇わからない……18人   
 
 同時に実施した社会科学習に対するアンケート調査では、かなりの子が社会科の学習が好きだと答えている。その理由として、見学・調査・インタビューなどの体験学習の楽しさ、図書室を利用しての調べ学習やその発表会で新しい知識を探ることへの欲求、各地の様子や歴史など未知の世界への興味などをあげている
 しかし、社会の問題について、深く考えていこうとする意識はあまりない。
 この2つのアンケート結果から、本単元では、亜硫酸ガスの刺激臭を実際に体験させたり、則武地区の大気・雨水・川の水の調査をしたりして、子供の関心や意欲を高めたい。また、四日市市が遠距離のために見学・調査が不可能なので、教師が資料収集に努め、子供の心を動かす資料をでき得るかぎりそろえたい。
 そして、公害を身近なこととして実感することにより、公害防止の大切さを理解させるだけでなく、自分も公害防止のために協力しようという態度を養いたい。
 
V.小単元のねらい
 これまでに発生した典型的な公害について調べ、被害を受けた人々の苦しみや問題解決に向けてのさまざまな運動や努力についてとらえるとともに、自分たちの身の回りにある公害にも目を向け、各種公害から国民の健康や生活環境を守ることを考えさせる。
 
◇社会的事象への関心・意欲・態度
公害や公害を防ぐ人々の努力に関心を持ち、自分の課題を解決しようと意欲的に
調べる。
◇社会的な思考・判断
公害が工業の発達に伴って定こったことや、公害を防ぐために人々が努力してき
たことを資料をもとに考える。
◇観察や資料活用の技能・判断
公害を防ぐための工夫や、公害と環境の関係について、方法を工夫しながら、
わかりやすく表項する。
◇社会的事象についての知識・理解
各種の公害から国民の健康や生活環境を守るために、国・地方公共団体などが対
策を進めていることを理解する。
 

W.単元の構成

X.指導計画 (全13時間)

ね ら い 主 な 学 習 活 動 指 導・援 助












 












 
・自動車の増加が生活に汲ぼす影響を調べるとともに、工業生産がもたらすさまぎまな影響について考えることによって、公害について調べようとする意欲を持つことができる。




 
1.自動車の増加が生活に及ぼす影響について考える。
2.他の工業の発展が生活に及ぼす影響について考え、学習課題を設定する。

工業の発展は、わたしたちの生活や環境にどのような影響を与えているだろうか。

3.生活に影響を与えた公害について、具体的に調べていくことを知る。
・環状線の交通状況を具体的に思い浮かばせる。
・工業製品がもたらす生活の便利さにたいして、マイナス面はないか考えさせる。
・実際に起こった公害を調べることを伝え、学習の意欲化を図る。


 






























 






























 
・大気の汚れを四日市市の例を通して、原因・被害の様子・裁判の経過と住民運動・県や市の対策などの視点から調べる。
























 
1.四日市ぜんそくの原因を考える。
 コンビナートの写真・年表・被害の広がりを表す地図などから、四日市市の大気汚染のひどさを知る。
2.ぜんそく患者の苦しみやくらしについて考える。
 大気汚染の進む中で、激しい発作のため患者や家族の生活が破壊され、多数の死者や自殺者が出たことを知る。
3.公害裁判や住民運動を通して、四日市市の人々の気持ちや願いを考える。
 日本で初めての公害裁判であることから、裁判を起こした患者の気持ちや願い、工場側の態度について考える。
 公害をなくすためのさまざまな住民運軌の取り組みを知り、立場をこえて力を合わせることの大切さを考える。
4.四日市市の公害病や大気汚染の実状について考える。
 県や市の対策や工場側の努力により、二酸化いおう濃度は減ったものの、今なお多くの人がぜんそくで苦しんでいることや、新しい公害が出ていることを知る。
・亜硫酸ガス発生の実験で、臭いのひどさを実感させる。



・作文・塩浜小の公害対策・アンケート結果などから、ぜんそく患者の苦しみを実感をもってとらえさせる。

・これまでの学習から、裁判を起こした患者の気持ちや、工場側の言い分について考えさせる。

・公害をなくす運動に非協力的だった住民の立場や気持ちを考えさせる。

・判決後の二酸化いおう濃度量や認定患者数の推移から、四日市市の現状をつかませた上で、新たな公害発生について知らせる。

 















 















 
・海の汚れとして水俣湾を取り上げ、水俣病の被害者が受けた苦しみや現在までの経過を調べることによって、わたしたちが生活していく上で、公害をなくすことが大切であることに気づく。






 
1.水俣病とはどんな病気かを知る。
 写真や作文から、病気の悲惨さについて考える。

2.水俣病の原因について調べる。
 水俣病の原因追求の経緯や被害の広がりを知る。

3.水俣病公害裁判について考える。
 病気の出現から賠償命令まで20年もかかっていることから、その間の精神的・肉体的な苦痛や、現在も続いている苦しみについて考える。
・奇病として、周囲の人々から差別を受けたことを知らせる。







・水俣病を学習しての自分の考えを書かせる。


 













 





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・四日市ぜんそくや水俣病のほかに、工業生産による公害にはどのようなものがあるかを調べ、まとめる意欲を持つことができる。







 
1.四日市ぜんそくや水俣病のほかに、どのような公害があるか話し合う。
 さまざまな公害の種類について知る。
2.則武地区のいろいろな場所で、自動車の通行量と大気の汚れを調べ、表にまとめ話し合う
3.調べ方・まとめ方について話し合う。
 グループに分かれ、公害の種類ごとに調べ地図や年表、新聞などに表す。
4.調べたことを発表し合う。
・四大公害・新しく出てきた公害など、工業生産や製品によって生じた環境問題を中心に扱う。
・地域の公害の代表として環状線や地域の主な道路での交通量や空気の汚れ、騒音などを調べる。
・これまでの調べ方・まとめ方を生かす。

 
これからの工業
 







 
・日本の工業が、世界の中でどのような役割をはたしているかを環境問題と関連させて考え、今後他の国々と調和を取りながら発展していくにはどうしていけばよいかを考える。 1.世界の中で、日本の工業が果たしている役割について話し合う。
2.日本の工業が発展していく上での問題について話し合う。
3.日本の工業の発展の在り方について、自分の考えをまとめる。
 
・工業の学習を思い起こさせる。



・世界平和・各国との調和・環境問題をふまえて考えさせる。
 

 

 

第一時 四日市ぜんそくの原因

ねらい 四日市ぜんそくの原因が石油コンビナートから出される亜硫酸ガス(二酸化硫黄)であることがわかる。

教師の働きかけ 予想される子供の反応 資料・留意点
@資料からどんなことに気づくか。









A年表からコンビナートとぜんそくの原因について考えよう。


Bコンビナートのまわりの様子を調べよう。


C四日市のどんなところに患者が多いのか。


D煙の中のガスを調べてみよう。





次時の予告
 
・はじめはいなかった重症のぜんそく患者がどんどん増え、1000人を超えている。
・症状の軽い人も含めたら、もっと多いのだろう。
・子どもがみなマスクをかけている。
・コンビナートからでる煙と関係があるのではないか。

四日市でぜんそく患者が増えた原因を
考えよう

・第一コンビナートができてからぜんそく患者が出だした。コンビナートからでる煙が原因ではないだろうか?
・集団移転するくらいだから、よほど空気が汚いのだろう。

・煙がたくさん出て、空が曇っている。
・煙が四日市用の方に流れている。
・塩浜、磯津、旧市内など、第一、第二コンビナートの近くに多い。

・工場から離れたところでも患者が出ている。煙が風で流されたのだろう。
・煙の中に毒のようなものが混じっているのではないだろうか。

・ひどいにおいだ。こんな煙をすっていたらぜんそくになるのは当たり前だ。
・紙がぼろぼろになるのだから、のども肺もぼろぼろになってしまう。
・少しの硫黄だけでこんなに臭うのだから四日市の人たちは暮らしにくいだろうな。

ぜんそくの患者の苦しみや暮らしについて
考えよう。
資料@ OHP(グラフ)
 喘息患者数の変化
 写真
資料A 写真
 公害マスクをして登校する子ども





資料B
 四日市市の年表




資料C OHP(写真) 第一コンビナート
資料D OHP
 工場分布図と地域別患者数

 季節風の影響についてふれる。


 亜硫酸ガス発生
 硫酸の教師実験

 亜硫酸ガス・四日市ぜんそくという名称を教える

資料E 作文
 私は公害患者です 

 

第二時 ぜんそく患者の生活と苦しみ

ねらい ぜんそくのはげしい発作のため、患者やその家族の生活が破壊されたことや、多数の死者や自殺者が出ていることから、ぜんそく患者の苦しみを理解する。
教師の働きかけ 予想される子供の反応 資料・留意点
@四日市ぜんそくとはどんな病気だろう。感想を発表しよう。





A資料をみてどんなことがわかるか。






B子どもたちの学校生活の様子を調べてみよう。





Cぜんそく患者の生活の様子を調べてみよう。


D自殺した大谷さんの日記からどんなことを考えるか。

次時の予告
 
・発作が起きると15時間も動けないなんてつらいだろうな。
・発作が起きると、死んだ方がましだと思うくらい苦しい。
・体育ができないなんてかわいそうだ

ぜんそく患者の苦しみや暮らしについて
考えよう

・小さい子とお年寄りに患者が多い。体力のない人が亜硫酸ガスの影響を受けやすいのだろう。
・乳児死亡率が全国平均を上回っているのは、おなかの中で亜硫酸ガスを吸っているからだろう。
・赤ちゃんを亡くした親は、コンビナートを憎んでいるのだろう。

・公害マスクをかけるのはいやだけど、かけないと息もできないぐらいなんだろう。
・うがい場や空気清浄室があるぐらいだから、空気がものすごく汚れているんだな。
・外で遊べないなんてかわいそうだ。
・工場を希望の光と歌っている校歌を歌いたくないだろうな。

・生活保護を受けたいのは、働き手がぜんそくにかかって働けないのだろう。
・一日に十回も発作を起こす人は、ものすごく苦しいのだろう。

・死にたくないと書きながら自殺したのだから、よっぽど苦しかったのだろう。
・九鬼市長、ぜんそくにかかってみろというのは、市に対して怒っているのだろう。

ぜんそく患者の気持ちや願いを考えよう。
 
資料@ 作文
 私は公害患者です







資料A OHP(グラフ)
 年齢別患者数

資料B 乳児死亡率
 自分と同じ子どもが一番の被害者であることに気づかせる。


資料C
塩浜小学校公害教育
「ぜんそくはうつる」と差別された事実を話す。



資料D
 患者へのアンケート
資料E 作文
 公害ぜんそく

資料F
 大谷さんの日記




 

 

第三時 四日市公害裁判と住民運動

ねらい 公害で苦しめられている四日市市の人々が、公害から生命や暮らしを守るため、裁判を起こしたり様々な運動をしたことを知る。
教師の働きかけ 予想される子供の反応 資料・留意点
@公害訴訟について知る。




A磯津のぜんそく患者が、日本で初めて公害裁判を起こしたことについてどう思うか。



B工場の言い分についてどう思うか。


C新聞記事からわかったことを言おう。




Dどんな運動団体があるか調べよう。





 次時の予告
 
・磯津と第一コンビナート六社を地図で確かめる。

公害から生命や暮らしを守るために人々は
どのように行動したか

・ぜんそくの発作のために生活ができないので、生活費や治療費を出してほしいと思っている。
・公害による犠牲者をこれ以上出したくないと思っている。
・コンビナートに公害を出さないようにしてほしいと願っている。

・実際に亜硫酸ガスを出しているのに、ぜんそくと関係ないというのはおかしい。
・工場側は、コンビナートをもっと大きくしたいと思っているだろう。

・公害の犠牲者をへらそうをして集会を開いている。
・これ以上死者を出さないよう、みんなで工場や市に対して要望を出している。
・小さい子まで参加しているので、公害をなくしたいという気持ちがよくわかる。

・公害から子どもを守る母の会の人たちは子どもの苦しむ姿を見てじっとしていられなくなったんだろう。
・「公害トマレ」という新聞は、公害をなくそうという気持ちがよく表れている。
・たくさんの人が公害をなくそうとがんばっているんだな。

四日市市のすべての人が反公害運動に
参加しているのだろうか
資料@ 四日市市の
 工場分布図




資料A 訴えの内容
 工場側の言い分











資料BOHP
  新聞記事
 精一君の追悼集会




資料C 
 四日市市の市民団体







 

 

第四時 四日市公害裁判と住民運動

ねらい 公害から生命や生活を守るためには、立場を越えて力を合わせることが大切である。

教師の働きかけ 予想される子供の反応 資料・留意点



@公害をなくすために人々はどのように行動してきたのだろう

A四日市市のすべての人が運動に参加したのだろうか。



B公害をなくすために、人々はどうすべきだろうか。






C判決文を読んで、感想を書こう





次時の予告

 

公害から生命や暮らしを守るために人々は
どのように行動したのか

・公害裁判を起こして、工場側に生活の保障をさせようとした。
・いろいろな運動団体を作って、公害をなくそうと力を合わせてがんばった。

・コンビナートで働いている人は参加していないのでは?
・コンビナートのおかげで市が発展したのだから、参加していない人もいるだろう。
・公害の影響をあまり受けていない人も参加していないだろう。

・工場で働いている人も運動に参加すべきだ。
・四日市市の人々が力を合わせて公害をなくさなければならない。
・自分の勤めている会社がなくなったら生活できなくなるから、参加できない。
・これ以上死ぬ人を増やさないためにも、参加すべきだ。

・患者の訴えが認められてよかった。
・工場だけでなく、国や県、市にも責任があるのだから、患者のための政策を考えるだろう。
・これからは、四日市市だけではなくほかの地域でも公害が少なくなると思う。

現在の四日市市のぜんそくや公害の
様子について調べよう。



前時の学習を思い起こさせる。



なぜ参加しないか前時までの学習から考えさせる。
資料@ 作文
 やっぱり6つの会社が悪い

資料A OHP(写真)
 署名運動
 自分ならどうするか考えさせる


資料BOHP新聞記事
 判決日をを待たず

資料C 判決文



資料DOHP新聞記事
 思い出す死の苦しみ



 

 

本時のねらい 公害から生命や生活を守るためには、立場を越えて力を合わせることが    大切であることを、公害裁判や住民運動を通して考える。

本時の展開
教師の働きかけ 予想される子供の反応 資料・留意点



@公害から生命や
暮らしを守るため
に、人々はどんな
ことをしてきたの
だろう。


A四日市市のすべての人が運動に参加したのだろうか。



・紙袋をかぶって署名運動しているのはどうしてだろう。



B公害から生命や暮らしを守るために、人々はどうするべきか。










・判決文を読んでみよう






・判決を聞く瀬尾あつや君です。どんな気持ちだろう。

次時の予告
 
公害から生命や暮らしを守るために人々は
どのように行動したのだろう

・公害裁判を起こして、工場側に生活の保障をさせようとした。
・いろいろな運動団体を作って、公害をなくそうと力を合わせてがんばった。
・署名運動や集会を開いて、みんなに呼びかけた。

・大きな被害が出ているのだから、ほとんどの人が参加していると思う。
・コンビナートのおかげで市が発展したと喜んでいる人は参加していないだろう
・公害の影響をあまり受けていない人も参加していないだろう。

・反対運動をしているのがわかると、会社を辞めさせられるかもしれないから、顔を隠している。
・会社がつぶれると生活できなくなるけど、公害をこのままほかっておいてはいけないと思っている。

・工場で働いている人も運動に参加すべきだ。
・自分の勤めている会社がつぶれたら生活できなくなるから、参加しなくても仕方がない。
・公害による犠牲者をこれ以上増やさないためにも、参加しなければならない。
・四日市市のすべての人が力を合わせて公害をなくすようにしなければいけない。

・勝訴と書いてあるから、裁判に勝ったんだ。
・みんな笑顔でうれしそうだ。

・患者の訴えが認められ、要求した金額よりたくさんもらえるようになってよかった。
・工場だけでなく、国や県、市にも責任があるのだから、公害をなくすための方法を考えるだろう。
・これからは、四日市市だけでなく、ほかの地域でも公害が少なくなるだろう。

・裁判で勝ってもお母さんはもう帰ってこないので心から喜べないと思う。
・これからは絶対に公害を出してほしくないと思っているだろう。

裁判後、四日市市の公害はどうなって
いっただろう



前時の学習を思い起こさせる。





なぜ参加しないのかを前時までの学習から考えさせる。
参加していない人の方が圧倒的に多かったことを知らせる。

資料@ OHP写真
 署名運動
資料A




自分ならどうするかを考えさせる。



資料B OHP新聞記事
 判決の日を待たず



資料C OHP 写真
 公害裁判勝利


資料D 判決文







資料EOHP新聞記事
 思い出す死の苦しみ




 
 
授業の観点
・前時までの学習を生かした発言や考え方ができたか。
・公害問題を自分の問題としてとらえ、真剣に考えることができたか。
 
Y.子どもたちの感想
「四日市ぜんそく」
 今日、先生が、大谷さんや小学生の子の四日市ぜんそくについての作文を読んでくれたとき、私は、公害パトロールのいない夜中に、こそこそ有害物質をまき散らすコンビナートが憎らしくなりました。2人、市からお金をもらっている人がいると習ったけど、そのお金はぜーんぶコンビナートの人で相談して出せばいいのに。と思います。
 もし、私のお父さんがコンビナートで働いていたら、きっとすぐにやめていたと思います。私は大人になってもそんなところで働きたくありません。いつも私は思います。(ぜんそくで苦しんでいる人がいるのにコンビナートで働いている人は、そんな大問題を知らなかったのか?人々を苦しませて何も感じていないのか?)相手は大人なのでこんなこと大きな声でいえません。
 でも、不思議です。特に大谷さんなんか、死にたくなかったのに死んでしまった。みんな自殺と言うけれど、私には殺人に見えてきます。かわいそうです。そんなに有害なものをまき散らすなら、自分で吸って、自分で苦しめばいい。苦しいと思えば、有害物をまき散らすのをやめればいいだけだからです。でも、関係のない人を巻き込むのは、一秒でもはやくやめてほしいと思います。関係のない人は、何もできず、施設などを作ってぜんそくに対応することしかできません。そんなのかわいそうです。早くやめてほしいです。
 
 
「無題」
 私は、塩浜小学校の子の学校生活で、初めて知ったことは、うがい室、うがい場があって、毎日、朝、乾布摩擦をしたり、一日に6回もうがいするそうです。私の心に一番残ったとは、遠足は、5年生は、登山で6年生は、キャンプだそうです。これだけでも、苦しい生活だなあと思ったけど、塩浜小学校の子は、苦しいことを乗り越えているからすごいと思った。
 アンケートの結果をみたとたん私は、心の中にじーんときました。それは、1日に起きるぜんそくの数をみたら、最高が10回です。私は、そのことで、前の女の子のぜんそく患者の作文を読んだとき、10時間から15時間も座ったまんまなのに、1日中ぜんそくで座ってるんだと思うと、やっぱりつらいんだろうなあと思う。
 ぜんそくで2人も自殺した人がいると聞いたとき、何にか、ぜんそくで追いつめられたことでもあったかなあと思いながら、大谷さんの日記をみました。朝から夜まで、ぜんそくで苦しんで、そのあげく、市長さんにも訴えているように書いてあり、お酒も、たばこもやめなければならないから、大変で、苦しんでいると思う。私たちにたとえると、大好きなお菓子屋ジュースをやめなければならないことだと思います。それほど、みんな苦しんで、苦しんで生きていることがわかります。
 大谷さんが自殺して、もう一人の人も自殺して私たちの住む大気のまあまあきれいなところでは、そんな苦しみは、わからないけど、勉強していく中で、半分くらいわかってきました。
 私たちは、ぜんそくにはならないかもしれないけど、川や海、森、山などをごみだれけにしたり、汚したりすると、ほかの病気にかかって苦しむかもしれないから、もうこれ以上苦しい人を増やさないよう、みんなで協力してきれいにしていきたいです。
 
「四日市ぜんそくの苦しみの感想」
 私も私のお母さんのお母さんもぜんそくになった。私は体が弱いだけで、もうなおったが、お母さんのお母さん、つまりおばあちゃんはまだ治らず、働いている市場をやめてしまった。今は、家で過ごしている。
 私のぜんそくの苦しみもすごくつらかった。寝たくても横になれないし、夜に医者に通う。それが、いつものように続いた。でも、四日市ぜんそくの人は、それ以上にひどい苦しみをしているとわかった。
 はじめは喜びの歌のように歌われた校歌も、今では、ただの歌になってしまう。それは当たり前だと思う。それがわかるのは、大谷さんの日記です。九鬼市長は、公害患者を認めていないらしく、九鬼市長への恨みを書いていた。九鬼市長もひどいけど、コンビナートの責任者もひどい。
 1000人もの公害患者を出しておいて知らんぷり。これでは裁判が起きても当たり前だ。まだ、コンビナートができていなかったら、繊維の町と呼ばれた頃のように豊かに暮らしていけたのに、と思う人もいるだろう。注射だって、吸入器だって本当は必要ないのに、みんな使わないと命が危ない。
 こんなのだったら、人間として生きるより、ロボットとして生きているようなものだ。大谷さんが追いつめられた苦しみは、いじめで自殺した子と同じくらいつらかったんだと思う。日記には死にたくないと書いてあった。それなら、なぜ自殺したのだろうか。私はそれがどうしてもわかりません。自分で死にたくないと言ったのに、自殺して、そこがわかりません。
 それに、「公害がうつる」というのを読んで、その子のお母さんは、その子以上につらかったんだとわかりました。一緒に遊んでた子のお母さんは、何をバカなことを言ってるんだろうと思いました。「公害がうつる」なんてかわいそう。もし、そのお母さんの家族に公害患者がいたら、その人は差別されて大谷さんみたいになってしまう。私はそう思いました。その人だけでなく、他の人も公害の人となかよく、差別せずいつも通り暮らしていけるようになりたい。
 
「四日市ぜんそく」
 今日の授業で、僕たちが一番考えたのは、工場で働いている人は、なぜ、運動に参加しなかったかということだった。工場で働く人を父に持つ人が書いた作文を読んでみると、工場側にもそれなりの理由があることがわかった。
 まず、二酸化硫黄を出されると言って会社をつぶされると、その人の家族が生活に困ってしまう。それから、コンビナートの勉強をしたときに、「石油は自分たちの生活にとって、とても大切なものだ。」と習ったくらいだから、たくさんの家庭も石油が少なくなって困ってしまう。こういったことが理由だった。作文を書いた人は、会社はつぶされてほしくないし、かといって、煙を出し続けると公害で苦しむ人が増えてしまうので、とても迷ったと思う。
 公害裁判は、結局原告らが勝った。でも、忘れてならないのは、工場で働く人が、紙袋をかぶってまで、運動に参加してくれたことだ。その人も、公害病の苦しみを知っていたのだ。これからは、工場を続けながら、公害を防止しないといけない。
 今の四日市がどうなっているのかとても知りたい。
 
「コンビナートと人々」
 私は、今まで(コンビナートは関係ない住民の健康を脅かして、悪いことばかりしている。死人も出した。なんて悪い会社なんだ。)と思いこんでいました。でも、今日、一時間勉強して、意外なことがわかりました。コンビナートで働いている人たちは、それなりに(二酸化硫黄を出して、死人が出てしまって、できるならお金を払ってあげたい。煙も出したくない。)と思ってはいたけど、(これからの生活が大変だ。首にされる。)ということもあって、とても悩んでいるそうです。私は、(四日市ぜんそくの人もかわいそうだし、とても悩んでいるコンビナートの人もかわいそうだな)と思いました。私はどっちの味方もできません。もし、前みたいに、繊維の町だったらどうなっていたのでしょう。私には何もできないけれど、私の願いは、水野さんと同じで、公害のない豊かな四日市市になることです。私の住んでいるのは四日市市じゃないけど、四日市市のことについてたくさん習ったから、何か四日市市が豊かになってくれると、『うれしい』って感じがします。「あをいさん」とか「木平さん」とか「大谷さん」とか「瀬尾さん」とかいろいろ苦しんだ人はたくさんいるけど、きっと、裁判も終わって、「公害」なんていう言葉を忘れるほど豊かになると思います。なってほしいです。
 
Z.授業で使用した資料
 
















年平均乳児死亡率
(1000人に対して) 昭42年

塩浜地区・・・36.1人

四日市市全体・・・25.6人

全国平均・・・18.1人

(昭和35年までは全国平均以下)
















ぜんそく患者へのアンケート
ぜんそく発作・・・一日2回 最高10回
発作どめの注射・・・・92人
 1か月60本以上・・・14人
酸素吸入器・・・・103人

働けない人・・・54人
生活保護を受けている人・・・・2人
     希望者・・・23人
 
 
 四日市市年表




























 

1955  旧海軍跡地を昭和石油に払い下げ決定.
 57  午起(うまおこし)に第一コンビナートうめたて開始.
 59  第一コンビナート操業開始.
 60  第二コンビナート建設開始.
       騒音・ガス・悪臭の被害が出はじめる。
       油くさい魚・死んだ魚が沿岸に広がる.
 61  磯津(いそづ)地区にぜんそく患者が出る.
 63  第二コンビナート操業開始.
       磯津漁民が、水門を閉鎖する.
 64  3日間のはげしいスモッグの跡、ぜんそく患者死亡
       煤煙規制法(ばいえんきせいほう)の指定を受ける.
 65  18人を公害病患者に指定.
       市費による治療を始める.
 66 公害地の小・中学校に公害専門の養護教諭をおく.
    ぜんそく患者死亡、2人目.
    公害認定患者の木平さん自殺.
 67 磯津地区の公害患者9人が工場を相手に訴訟を起こす.(公害裁判)
    公害認定患者の大谷さん自殺.
    雨池町の住民が集団で引っ越しする.
    公害基本法制定。
 68 大気汚染防止法制定.
 69 いおう酸化物の環境基準を国が定める.
 70 霞が浦(かすみがうら)地区に第三コンビナートが完成する.
     公害基本法を改正する.
 72 公害裁判で患者側勝利の判決が出る.
 73 公害病患者が1000人をこえる.
 74 公害健康被害者保障法を施行する.
 
作文
 私は公害患者です
橋北中 二年 伊藤 あをい
 私も五才のころから発作がおこり出した。年々悪化しはじめ、小学校三年生の秋、公害患者に認定された。
 発作が起ると、一晩中うなりずめ、「苦しい」と自分に言いきかせることで耐えているようなものだ。十時間も十五時問もすわったまぜで動けず、何度も足を組みかえる。せきこむと汗がふつふつとにじみ出る。小学校三年生は育ち盛りなのに、アバラがくつきりと姿を見せ、体力のつくひまがない。父母をよく困らせた。私がうとうとと眠り出すとまたせきこみ、涙が出て顔がくちゃくちゃになった。
 体育の授業が一番嫌いだった。特に走るのが。でも走ちないと、なぜかみんなが、私を白い目で見るようで、それがたまらなくいやだった。だから無理をして、母に叱られてもなるべくみんなと区別されないように努めていた。
 中学二年ともなれば身体も大きくなり、体力もついて抵抗力が強くなるから、発作の数は減ってきた。とは言えやはり食欲がなく、というより苦しくて食物がのどを通らない。それに発作の数が少なくたった方が、一度の苦しみ方は今までの苦しみの二倍も三倍も大きい。死んだほうがよっぽどましだと思うのだが、私には死ぬほどの勇気もない。
 マラソン大会でも、あの人は走らないからいいな、と思っている人もいると思う。でも私だって好きこのんで走らないわけじやないいのに……。
 
 こうがいぜんそく               
塩浜小二年 せおあつや
 ぼくのおかあさんは、こうがいぜんそくでながいことびょういんで、にゅういんしていました。
 ぼくは、まん二さいのときからおかあさんといっしょにびょういんにいました。雨がふったり、曇ったときなどは、みんなぜんそくのほっさがひどいので、ぼくはかんごふさんのところへ、たのみに行ってやりました。
 ぼくが、あまりじょうずに、ちゅうしゃといえないので、みんなの先生たちが、よくわらいました。
 ことしの九月一六日のあさ、おかあさんはひどいほっさがおこって、「くるしい、いきがつまる。」といいながらいしきがなくなって、きゅうきゅう車でびょういんにはこばれて行きました。
 車のなかですぐにさんそきゅうにゅうにかけられていても、なかなか気がつかずに、びょういんで先生たちが、三人でちゅうしゃをしたりしていましたが、三時間たってから気がついたそぅです。
 ぼくはおかあさんがしんでしまうかと思って、しんぱいでしんぱいでなりませんでした。
 その日は、みんなよその人たちもひどいほっさがおこっていました。ぼくたちのともだちにも、たくさんぜんそくで、くるしんでいる子がいます。そんな子をみるとかわいそうでなりません.
 ぼくたちにもっときれいな空気がすえるようにしてほしいと思います。学校からかえるとき、こうじょうのほうをみると、ものすごいけむりが出ています。そんなときは、おかあさんのことを思いだして、にくらしくなることがあります。
 
 会社なんかなくなればいい。でも…
三浜小 三年 小島 さゆり
 わたしは、四才の時から公害にんていかんじやになっています。とくにひどかったのは、ようち園から一年生のころでした。
 夜中にぜんそくで苦しくなって、食べた物を全部もどしてしまったり、ねつが出て息苦しくなったりしたことでよくおぼえています。とてもいやなことだったからです。
 二年、三年になって、少しよくなったように思いますが、夏が近づいて、風が南東からふいてくるようになるとぜんそくがおきます。
 一年生のころは、「会社なんか、なくなればよいのに。」と思っていましたが、今はそんなことは思わなくなりました。おとうさんが、石油コンビナートの会社につとめているので、会社が、なくなれば、わたしの家はびんほうになってしまうからです。
 おとうさんは、いつも「会社は、公害のためにたくさんのお金をつかって公害がでないようにどりょくしているんだよ。」と言っています。
 おかあさんは、「それでも、公害にんていかん者は、どんどんふえていますよ。」と言います。
 わたしは、どうゆうふうに考えたらいいのか、わからなくなってきます。そして、しまいには、公害のないきれいな空気の町にすんで、おとうさんも会社につとめられて、たくさんのお金がもらえて、みんなが病気にならないような家で、ずっとずっとくらしたいと思います。