患者自身が自分の会をもって

四日市公害認定患者の会、第1回総会報告

代表委員山崎心月さん

 ご支援頂きました方々のご登録を練って、公害認定患者の会というもの、皆様に呼びかけ、こうして会が結成され、今日、第1回の総会が開かれる段階にまで進んでまいりました。
 私も、36年5月から患い、認定患者になっておるのでございますが、患者自身の自分の会を持たなければならない、患者自身が結束して、団結して、自分たちの会をもって、苦痛の中から立ち上がる・・・・すなわち、1日も早くこの苦痛を逃れて、元気な体にしてもらう、それには、住みよい四日市にしてもらうよう、公害発生源というものを対策も、いろいろと取り組んで成果を上げていかなければならない、こう考えておるわけでございます。
 ところが、私どもは病人なので、お互いに動き回ることができにくいという状態で、自分たちだけではどうすることもできないのです。
 しかし、ありがたいことに、公害に取り組んでおられる方々が、非常にご親切に、われわれの世話をしていこう、そして、患者の方々が元気になれることは、四日市が住みよくなることなんだと、だから、市民全体のために、われわれは縁の下の力持ちになりましょう、こうおっしゃってくださったことを大変ありがたく、われわれ患者ではどうにもならん面はよろしくお願いしますと、公害患者を励ます会の方々のご支援をいただくことになったわけです。

 私は、結成準備で、分担した地区の曙町から橋北へ渡って、認定患者の方々には、こちらでわかったかぎりで、ひとわたり、一人ひとりお目にかかって、いろいろうかがってまいりました。
 訪問して歩きました患者の中には、政治的に利用されるんではないかとをする方もございました。もし患者の会へ入会したら、選挙の時にあんたは、社会党へ投票せいとか、共産党へ投票せいとか、言ってこやしないか。そういうことは困るって言われた方もございました。
 そこで私は、それはいたしません、私たちは、一人ひとりが政治と思想は自由でございます。ただ私たち自身が、このつらさから抜け出すために、住みよい四日市を作るために、みなさん当初に語り合いたいということなので、それを支援してくださるという奇特な方々があるのならば、喜んでを受けしましょう。それは政治団体とか、思想団体とかいうような問題に何の関係もないことだと思います。もしも私たちに、救済運動のために力を貸してくださる方々があるのならば、それは保守党であろうと、革新党であろうと、それは何の関係もございません。政治的に政府をつくっている与党である自民党なんかが、力を出してくださるのならば、なおありがたいです。

公害訴訟のこと

 数年来、病院に入院させられ、自らの呼吸もできなくて、酸素吸入をしなければならないという患者の方々が、いわゆる私をして言わしむならば、菩薩行を行じておるんだと。なぜならば、自らが立つことによって、すべてのものを救おうと。そのためには、裁判に訴えてでも、この問題を解決しなければならないんだと。どこ(企業へ強制)へ訴えてもどうにもならない。訴訟という1つの方法によってそれを明らかにしていきたい。そういうような気持ちで、磯津の九名の患者が立ち上がれたんだろうと、私は信じます。
 で、その方たちが原告となって訴訟を起こされ、今日すでに、厚生省まで動かざるを得ないような現状にたち至ったんであろうと思います。
 でありますから、ある人は、訴訟はあの9人が起こして、何百万か、何千万かの補償を請求して、その金はもらえるやろう・・・・われわれはどうなるんだ。いやあ、あれはあの人たちだけがやることさ。そういうようなことを言われた患者もおったそうなんであります。その考え方はおかしいと思います。
 こないだからお会いしたかった(患者)の中に、この訴訟は勝てますかねぇ、と言われる方がおります。私はそれについて、「勝ちます。必ず勝つんです。勝たなかったら、四日市の市民は、どうやって救われるのか」で答えています。

公害患者の発生

 私は、今年(1,968年)の10月、“命と暮らしを守る書名”運動の方々と厚生省へまいりました時、園田(直)厚生大臣にも言いました。8年前までは、四日市ぜんそくと呼ばれるような病人はいなかったんです。
 最初に、稲葉町に石油精製会社(大協石油)ができた。その当時はまだ規模も小さく、それほどのことはなかった。ところが、その後に至って一連のコンビナート工場ができて、化学製品を作る会社がどんどん増設されることに連れて、患者が発生し、増えてきたんです。

 私は、昭和36年(1,961年)の5月4日の深夜、忽然として発作を起こしたんです。もうどうにもならんので、お医者さんをお願いして往診をしてもらったんです。
 が、私のお世話になっておりますお医者さんは、泊の清水富生という先生です。この方は、その時から、山崎さんこれは普通のぜんそくではありませんよ。とこう言われました。これはひとつのね、ガス中毒のような、そういう症状を持ってをおるんで、普通のぜんそく状態と違いますよ。ぜんそくだけの薬を飲んどっても、どうにもなりませんよ。まずしかし、今日は、ガス発生の防止にわれわれは取り組んでいかなきゃならんようになるんではないでしょうか。そういうことを清水先生は言われました。
 その当時、市役所の塩浜出張所で就任をしておられた清水幸蔵さんといわれる方がおりますが、この方にお会いしますと、塩浜自治会の方々がちょいちょい出張所へ来られ、苦痛を訴えられます、それで、高安先生が塩浜病院の院長をしておられる時、先生、これを公害とはっきりさせて、この処置方法をとってもらえんかと申し上げたところ、それは大変大きな問題ですから、私は公害と断定することはできない、こう言われておりますと、清水幸蔵さんが言われたことがありました。
 そのようなことで、年々増えてまいりました多くの患者たちが、もしも訴訟に負けたら、これはもう、どんどん企業の思うままの設備がされて、そして亜硫酸ガスなどの悪いガスが充満しますと、年々患者は増加するばかりであります。どうやっても勝ってもらわなければならない。そして、8年前になかった病人が、毎月毎月増えていった現状においては、この一連の石油コンビナートがあるという、そこから出てくるところの亜硫酸ガスによって害せられた市民なのであります。それをなくすためには、どうやってもこの訴訟を勝ち抜いたなければいかん、必ず勝つんだ、そうやって、8年前になかったもんをなくすんだと・・・・・。

人命を守る環境基準を

 それで私は、この前、園田厚生大臣に、8年前の空気にしてください、などとは無理は言いません。なぜならば、現実に企業体ができ、あの一連のコンビナートが毎日毎日、生産のために運転されておるんです。だから現実にそれがあるうちは、ガス発生はやむを得ないが、しかしそれならば、今日、この現状におかないで、生活環境審議会の専門委員の方々が審議し、この程度までは許してもいいか、これ以上許し民たら人命に関係してくると、ギリギリの線で出されたものがあるんですから・・・・・。
 ところが聞くところによると、経団連や通産省から圧力がかかって、そんなことをやってもらったらわれわれの仕事はできなくなるんだというようなことを言っておるそうですけれども、しかしそれに負けないで、専門家の方々がギリギリの線と言って出された基準で決めてください。これは無理ではないと、私は信じます。それ以上にしてくださいというのは無理であるかもしれないが、まぁまぁそこまでで押さえて下さるのなら、それはできることだと思いますからお願いします・・・・・こうお願いして帰ったんであります。

公害患者は団結して

 これまで、なんの呼びかけもなかった認定患者の方たちほとんどが、初めてここで患者の会を作ったということで、この会は、患者の人たちだけが集まって、がんばっていきましょう、そしてそれは、支持して、励ましてくださる方におんぶしていきましょう、そういうことで、患者の皆さんにこの会へ入っていただいたわけであります。
 どうかみなさん、毎晩毎晩、呻吟しておりますお互いの気持ちをどういう方向に持っていったら、われわれは救われるのかというような気持ちについて、ゆっくりこう相談をしたいと思います。

 私は70近いんでありますから、自分はもう余命はそう長くはありますまい。けれども、私が今、できるだけのことをすることによって、今からわれわれの後に続いてくるところの乳幼児を守り、そして青年が健康でいつまでも働いてもらうためには、自分だけのことを言わないで、せめて自分が苦痛の中からだけでも、動くことによって、働きかけることによって、住みよい本当の四日市を作る気持ちでまいりたいと思います。
 そのために、どうぞ皆さんの力を合わせていきましょう。自分だけのことを考えるのは、仏教の上では声聞根性と申しておりますが、これは自分だけが幸せになればいいということですが、大乗仏教の上では、すべてのものが幸せになるということをねごうていくことが、これが仏の世界だと言われております。でありますから、そういう大乗的な気持ちで、菩薩道を場とするような気持ちで、自他ともに幸せになれる道を歩むために、お互いに協力しあって参りたいと思います。
(1968年12月7日、山崎心月、唯信寺住職)−くさい魚とぜんそくの証文−