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四日市ぜんそく
四日市公害裁判
記録「公害」
小5授業実践
論文

四日市公害を記録してきて
その中で解ったこと、思ったこと

 記録しようと思ったきっかけは、磯津の漁師でぜんそくに侵された公害患者に、「公害反対をいうのやったら、苦しんどるとこを、見て、知ってからにせい」と言われたことがあってである。

 私は、コンビナート労組も加入している地区労(三泗地区労働組合協議会)の事務所に勤めていた。労組は、会社が大きくなり利益が上がれば賃元も上がるとしていた。公害反対に神経をとがらしていた。そうした労組の会費から給料をもらっていた。埋め立て、建設反対のビラをつくって配ったら、労組幹部に「辞めろ」とせまられた。(クビだといわれたのは3回あった)

 「現場をしれ」、そのことと、「労組の意向」を念頭にして何ができるかを考えたときに思いついたのは、公害を記録することであった。
 地区労に勤める前は、紡績工場で働きながら娘たちと、生活のありのままを見つめ綴り方に書き、仲間うちで話し合い、自分の考えをもち、行動しようと励んできたことを公害にも活かしていこうと、最初はペンネーム・公害を記録する会の名前で、ガリ版文集を作っていった。
 公害患者にあって、ぜんそくの苦しみや思っていることなどを書いてほしいと、原稿用紙を渡し、しばらくしてからもらいに行った。生活は読み取れぬ観念的な述語に終始、生活のない内容で、自分自身の浅はかさを思い知った反省から、聞き書きをすることにした。そうはいっても、「どこの馬の骨かわからんものに話すことはない」「選挙に利用されるのはご免だ」と拒まれ、なんだかんだと理由をつけ足げく通い、どうやら選挙に利用しようとする人間ではないと垣根をはずしてくれた。
 テープに録音し、磯津ことばそのままにテープおこしをやり、ガリ版文集にして持って行く。しばらくしていくと、「俺も結構良いことを言うとる」と感心していた。ガリ版であっても印刷されたものを読むとき、無意識に喋ったことを第三者の立場で確かめることになり、自分で自分に感心することになるわけである。
 自分に感心する聞き書きは、「本当の公害を知る」ことになるわけで、公害反対運動にとって少なくとも10人力にはなるだろうと思ったし、なにより沢井という名前を出さないでやれる満足感があった。
 くさい魚とぜんそくに苦しむ被害者の公害・生活記録は、公害裁判のなかで、原告患者側の準備書面でも用いられ、ガリ版文集・記録「公害」は証拠書類にもなった。
 1972年7月24日、5年の歳月を経て、ぜんそく公害裁判は、原告患者側「勝訴判決」で終わった。判決報告集会で原告患者を代表して野田之一さんは「裁判には勝ちましたが、これで公害がなくなるわけではないので、公害がなくなったときに、ありがとうの挨拶をさせてもらいます。」と言った。四日市の戦後<判決後>はこのあいさつをもって始まらなければならないのに、いったい何人がこの訴えを受け入れたか、残念ながら、ごく少数にとどまったし、脱落、転向、変節、反逆、無関心、が目立った。
 野田さんたち公害ぜんそく患者は、有毒ガスを出さないでくれと工場へ頼みに行ったとき、どこの工場も「うちじゃない」「うちじゃない」と言い、行政も「どうしようもない」と対応、このままでは死ぬのを待つしかない、負けてもともと、あとは裁判しかないと、生きるか死ぬかと追いつめられた末の決断だっただけに、「ぜんそくの発病原因は、工場の排出するばい煙」の判決で“おいらの言ってたことが証明された、これからは、大手をふって公害反対を言える。支援してくれたみなさんといっしょにがんばりましょう”と訴えたのに、運動は急速に消えていき、変わって、本当の公害をなくす運動を妨害する“公害をなくす”と称する動きもでた。その一つに、判決後の交渉で得た「立ち入り調査自由の誓約書」による公害防止の実態調査をさせまいとの動きである。
 また、学者、政治家、労組幹部といったなかからも、被害者を裏切る反動がでるなど、困った事態も出たが、それらは一部の人にしか知られず、多くの人たちには知られることなくきている。
 公害には、加害と被害しかない。公害をなくしたい、二度と悲惨な公害を起こしてはいけないと思うなら、被害者を裏切ることは絶対にしてはならない。
 公害判決15年の7月、日本弁護士連合会(日弁連)の公害・人権委員会が、経営者団体連合会(経団連)が政府に「公害病認定制度の廃止」を求めたことについて、公害現地の実情調査で磯津へ来られたとき、野田さんが沢井にこんなことを話し、返答にこまった。

「公害で名をあげた偉いさんで、今もわしらの味方になっている人っているのか。わしらは、偉いさんに利用されたけど、利用されたおかげで、ようなったこともあったが、今じゃ企業に利用され、わしらをいじめるようになった。いったいどうなっとんのや・・・・」

 こうしたことは、このほかにも、数々ある。「二度の公害を起こしてはならない」そのことを保証するには、関心を持続することのほかに、学者、政治家といった偉い人のありようと、市民運動が問われることになる。
 公害と公害四日市の動きを記録するなかで、一般には見えにくいものがよく見えたりするだけに、公害を克服するためには、ほってはおけないと思っている。


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