四日市公害の出来事を追って

公害の原点・四日市を通して考える

 1960年代(昭和35年)、1970年代、『公害列島』と言われるほど、全国各地で人々は、公害によって苦しめられた。
 中でも四日市は、日本で最初の石油化学コンビナートが作られ、それらの工場群によって、海では、『油くさい魚』、陸では、『四日市ぜんそく』に代表される公害に苦しめられた。
 四日市は、水俣と並ぶ、戦後公害の原点である。

 公害と人権の問題を考えるにあたって、なによりも大切なことは、事実をよく知ることであり、公害四日市の出来事を追いながら考えたい。

 四日市公害は過去のものとして、葬りさられ、忘れ去られようとしている。そうであってはならない。四日市公害は、検証されなければならない。

  1. 四日市公害はなぜ発生したのか。
  2. どんな被害をもたらしたのか。人々はどのように苦しめられたか。
  3. 人々はその公害にどう対処したのか。反対運動はどうであったか。
  4. 学者、知識人、労組、政党、団体の幹部などの人たちは、どう関わっていたか。
  5. 公害に関わって有名になった人たちはどうしているか。
  6. マスコミはどうであったか。
  7. 企業(工場)や行政の主だった人たちは、公害について、どう考え、どんな対策を取ってきたのか。加害行為の認識・自覚を持っていたのか。
  8. 四日市公害ぜんそく訴訟での原告患者側勝訴は、どんな影響を及ぼしたのか。勝訴は何によってもたらされたか。
  9. 石原産業汚水たれ流し摘発、刑事裁判での、被告企業有罪判決によって、どんな影響があったのか。
  10. 公害はなくなったわけではないが、改善されてきている。なぜそうなったのか。
  11. 『公害を克服』したということが言われている。そう言ってしまっていいのか。
  12. 今も公害ぜんそくで苦しむ人たちについて、どう考えているか。
  13. 行政や企業は、公害加害を反省し、工場誘致、立地、操業、公害防止などを最優先させ、住民の快適な生活、自然環境の保全をはかっているか。それを保障する住民参加を実現させているか。
  14. 再びあのような悲惨な公害は、もう起きないと思っていいのか。おきない、おこさせないとするなら、その根拠は何か。
  15. コンビナートなどによる、経済の高度成長、繁栄、豊かさは、海を壊し、自然を壊した上で成り立ってきたが、人々は、そのことをどう考えたらよいか。
  16. 「工場がくれば(誘致すれば)市が発展する」として、行政、企業は、住民の反対を押しのけて進めてきたが、市はどう発展したのか。市民も発展したのか。

過ちを繰り返さないために、これらのことについて考え、まとめあげなければならない。


≪公害≫四日市での出来事を追って

1.三重県・四日市市

2.第2海軍燃料廠の建設

3.海軍燃料廠跡地の払い下げと、石油化学コンビナートの進出

4.中部電力三重火力発電所の建設

5.第1コンビナートの建設と稼動

6.くさい魚(異臭魚)

7.四日市公害・最初の住民運動 ―― 塩浜地区連合自治会

8.塩浜ぜんそく ―→ 四日市ぜんそく

9.磯津漁民騒動(中部電力三重火力発電所排水口封鎖)

10.第2コンビナート建設(午起地区)

11.1963年(昭38)夏の公害騒動

公害に対しての住民運動は、この夏がピークであった。

12、通産、厚生の両省による調査団(黒川真武団長)の来四日市

13.最初の公害犠牲者、1964年(昭39)4月

14.「四日市の二の舞になるな」公害四日市への視察あいつぐ

15.四日市市公害病認定制度発足

16.最初の公害病病患者 自殺

17.四日市公害訴訟 第1回準備会

18.霞ヶ浦埋め立てと第3コンビナート誘致を、市議会が強硬採決

19.公害患者2人目の自殺

20.霞ヶ浦埋め立てと第3コンビナート建設

この年(’67年)の2月市議会での埋め立て議案賛成を受け、三重県知事は、7月の市議会に、「埋め立てを着工してもよろしいか」の同意を求め、議会は無記名投票で議決。コンビナートは第3といっても、資本・操業といったことでは、第2、第3は、興業銀行系列で同一。この第3コンビナートは、いわば四日市公害の申し子といっていい。

1967年(昭42) 2月 市議会で埋め立て、強行採決。
  9月 公害訴訟 訴訟提出。
1972年(昭47) 2月 公害訴訟 結審。
  2月 第3コンビナート営業運転開始

21.四日市公害訴訟・提起

1967年(昭42)9月1日、津地方裁判所四日市支部へ提訴。

【原告】県立塩浜病院に入院中の磯津の公害病認定患者9名。
塩野輝美(35) 中村栄吉(50) 柴崎利明(40)
野田之一(35) 藤田一雄(61) 石田かつ(62)
今村善助(77) 石田善知松(73) 瀬尾宮子(34)
【被告】第1コンビナート臨海部の6社
石原産業四日市工場 中部電力三重火力 昭和四日市石油四日市製油所
三菱油化四日市事業所 三菱化成工業四日市工場 三菱モンサント化成四日市工場
【訴え】
 被告ら工場群の排出する煤煙中の亜硫酸ガスによる大気汚染により、原告ら磯津地区住民の健康が侵害された。
 被告らは、以上の侵害事実を十分知りながら、稼動日以降今日まで、煤煙中の亜硫酸ガスを除去すべき何ら設備改善行為をなさず、あえて操業を続け、被告ら各工場ともばい煙の発生を続けて、原告等に対する加害行為を継続してきたのであるから、被告ら各社の損害発生に対する故意、もしくは少なくとも過失は明らかであり、余って被告らは、民法709条、同第71条第一項により、原告が蒙った損害を共同して賠償する責任がある。
民法第709条
故意または過失によりて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ず

同第719条
@数人か共同の不法行為に因りて他人に損害を加えたるときは各自連帯にて其賠償の責に任す。共同行為者中の孰れか其損害を加えたるを知ること能はさるとき亦同す
四日市公害訴訟弁護団

東海労働弁護団のメンバーを中心に、当初56人の弁護士で結団。
北村利弥団長、花田啓一副団長、野呂汎事務局長
弁護団の意見

 死者まで出しながら、四日市市は第3コンビナートづくりを進めている。 憲法第25条(国民の生存権)は亜硫酸ガスの中で死んでいる。その責任を誰も負うことなく被害が進行している。この無責任状態にまず終止符を打たせよう。 現実の被害に対し、一刻も早く、直接の加害者企業から、当然の賠償をさせることによって、もって行き場のない混沌の中に責任追求の一筋の道を切り開こう。 最も素朴かつ単純な、直接の加害者への不法行為責任の追及という闘いを通して、国や自治体の施策の根本も俎上に上らざるをえなくなるだろう。
支援組織

22.塩浜中学校3年生南君枝さんが公害病死

23.中部電力四日市火力でのマンガンによる排煙脱硫装置実験

24.四日市市助役に、三菱油化総務部長を選任

以後、加藤氏は、助役に二期、その後、市長五期、20年間続け96年12月、退任した。

25.三重県宗教者平和懇談会が「四日市公害死没者追悼会」を行った

26.四日市地域公害防止対策協議会の第1回総会

27.四日市公害認定患者の会発足

28.四日市海上保安部が、工場の海水汚濁犯罪摘発

石原産業株式会社(石原健三社長)罰金80,000円。元四日市工場長西村大典被告を懲役3カ月、執行猶予2年、罰金50,000円。同山田務名被告を懲役3カ月、執行猶予2年。石原産業は控訴せず刑確定。

29.公害を記録する会が、磯津公民館で「公害市民学校」を開催

30.国が「公害にかかる健康被害の救済に関する特別措置法」を公布

31.「公害から子供を守る塩浜母の会」を結成

32.公害裁判第25回口頭弁論

33.四日市で「全国公害研究集会」を開催

34.コンビナート縦断デモ

35.公害防止協定の拒否

36.小学校1年生がぜんそくで死亡

37.月刊ミニコミ「公害トマレ」

38.第2期、公害市民学校

39.公害Gメン突然の転勤辞令

40.瀬尾宮子さん(38歳)がぜんそく発作死

41.2次訴訟原告団結成

42.反公害磯津寺子屋

43.第3コンビナート埋め立て可決

44.四日市公害裁判 口頭弁論で結審

45.塩浜小学校の校歌が変わる

46.住民の反対運動 工場進出を阻む

47.被告企業6社が共同で冊子を作成

48.四日市公害ぜんそく訴訟”原告患者側勝訴”

49.直接交渉

50.昭和四日市石油 増設プラントの運転を開始

51.橋北地区公害認定患者の会 「青空運動」

52.四日市全体の患者に対する補償交渉

53.田中覚三重県知事が国会議員へ

54.三重県は総量規制を実施。

55.四日市公害対策協力財団の設立についての交渉

56.四日市公害訴訟を支持する会解散

57.廃棄ドラム缶放置

58.塩素ガス流出

59.公害局から環境部へ改名

60.”ほんとうの青空を“完成

61.加藤市長誕生

62.二酸化硫黄の環境基準

63.1977年9月1日、三重県環境保全事業団設立

64.第3コンビナート埋め立て用の土は?

65.三重県公害防止条例改正案可決

66.”石油関連企業は立地させない?????”

67.中部電力は、LNGタンク基地造成に伴い説明会を開催

68.四日市公害判決10年の年。1,982年(昭和57年)

69.セメント公害訴訟 住民の勝訴

70.魚さい処理場建設反対

71.焼身自殺

72.公害病認定制度を廃止に向けた動き

73.公害指定地域解除に向けた動き

74.環境保全功労者

75.公害健康被害に補償制度を廃止

76.公害環境保全委員会が四日市市へ

77.認定制度廃止に抗議

78.中部電力川越火力発電所 運転開始

79.タンカーが、原油を流出する

80.まず誘致ありき

81.国際環境技術移転研究センター(ICEET)

82.産業廃棄物から放射能検出

83.東ソー四日市工場がプラントを増設する計画を発表

84.四日市公害判決20年

85.塩浜病院 閉鎖

86.グローバル500賞

87.「快適環境都市宣言」を議決(1,995年(平成7年)9月市議会にて)

88.「公害の歴史 公害の街から環境の街へ」

89.「塩浜の急患診療所」閉鎖

90.新しい市長誕生

「公害を克服」とか「公害終結」と書かいわれているが、まだまだそう言ってすませる状況にはなっていない。「公害患者の全面救済を基盤にして、コンビナートを安全で公害のないものにし、加工型の産業基地になおし、海をきれいにして市民がその海と接触できるような自然に回復する。それと緑が豊かで文化的なまちづくりをする。」、そうしたことがなければならない。