<争点>

被告側

 

原告側

 大気中に出た排ガスは複雑な気象条件が加わり拡散、流動する。しかし、原告側は単純な推定で、被告らの工場から磯津へ到達しているという。因果関係で問題となるのは排出量ではなく、到達量だが、それは立証されていない。風洞実験や到達濃度計算だと、六社の排煙は磯津の亜硫酸ガス濃度に影響を与えていない。排出源は被告らだけでなく、周辺にはほかに多くの工場がある。



 コンビナートの被告六社から南東700bから2300bに原告らの居住地、四日市市磯津がある。各工場は重油を燃料、原料に使うため大量の亜硫酸ガスなどの硫黄酸化物を吐き出し、本格操業に入った35年頃から磯津の亜硫酸ガス濃度が急上昇した。北西の風が吹く冬は特に高濃度で、平均値が0.145ppmと、環境基準値の約2倍にもなった。大気汚染の原因は、被告らのばい煙である。
 原告患者らはアレルギー体質や、たばこを吸いすぎた人が多く、亜硫酸ガスとは関係なく発祥した可能性が大きい。閉塞性肺疾患は原因になる因子が多いのに、亜硫酸ガスについてだけ取り上げた疫学調査など、信頼できない。その結果を基に一般的、集団的に人体影響があると主張し、集団現象を一人に一人に当てはめ臨床的な判断を下したのは間違い。大気汚染と生命、健康との因果関係は今まだ世界中で論議されており、解明されていない。



 原告らはコンビナートから吹く風の時、ぜん息発作を起こすことが多かったが、36年から40年にかけて閉塞性肺疾患にかかった。三重県立大医学部の住民検診など数々の疫学調査の結果、この疾患と硫黄酸化物との因果関係は明らか。企業の排出物であることさえわかれば、科学的に原因物質を突き止めるところまでは必要ない。原告患者らのカルテによっても、主因が大気汚染以外には考えられないことを裏付けている。
 足尾銅山事件にしろ、ロンドン事件にしろ、四日市の大気汚染問題とは性格の異なる公害である。被告らが排出している低濃度の亜硫酸ガスくらいで人の健康を害するとは、とても予想できない。まして工場建設の際、地域全体に排出される硫黄酸化物の総量を計算したうえ、受忍限度を超えないようにはからうことは不可能だったし、そこまで企業の義務はない。六社とも操業以来、旧ばい煙規制法の基準を守り、早くから脱硫装置や高煙突に着手した。厚生省調査団の勧告を待つまでもなく精一杯の大気汚染防止に努めてきた。



 明治中期の足尾銅山事件をはじめ、戦後のロンドン事件など有名な煙害や専門家の医学的研究から被告らは大気汚染の深刻な影響を承知していたはず。だから、住民に危害を与えないとの確証が取れるまで工場立地計画を中止するか、完全な防除設備をした上で生産を始めるかの義務があった。これをぼんやり見過ごし操業した過失がある。また四日市に来た厚生省の調査団がばい煙に関し勧告した39年以後、なお排出し続けたのは、故意。今でも排煙による被害が広がっているのに、企業の社会的責任は果たされていない。
 被告らの工場はたまたま接近した場所にある。だが、どの面から見ても堅い結びつきはなく、各社間がパイプを通じ原料、製品をやりとりしているのは通常の売買取引である。三菱の資本系列三者は、互いに支配し支配されるほどの深いつながりではない。もちろん、共謀性の認識などはなかった。各社の重油使用と原告らの損害発生との因果関係は否定し、一社一社に不法行為を認めないため、六社ぐるみの共同不法行為も成立しない。



 六社は、機能的、技術的、資本的に密接に結びついた企業集団。一社でも抜けると、それぞれが大きな損失を受け、ことに三菱三者の結合は強い。また互いに近接し、自分の工場と同じように排煙していることは認識し合っていた。このため六社の加害行為は一体と見ることができ、仮に排出量が比較的少なかったり全く排出していなかったりの企業があったにしても、責任は免れない。民法719条の共同不法行為にあたる。
 原告らが入院加療中だからといって、それだけで労働能力を減失したとはいえない。労働能力は職業、年齢、既往症などの要素に左右されるので、人によって事情が異なり、画一的に評価することはできない。現に多くの原告らは働きに出かけている。大気汚染が閉塞性肺疾患に影響を与えたにしても、ほかの要素に比べ、ごくわずかな割合である。死亡者の一人は疾患が亡くても高齢なため肉体的労働に十分耐えられる状態ではなかった。他の一人はアレルギー体質だった。



 被告らの利潤追求の結果、原告らのかけがえのない生命と健康を失った。空気清浄室に入ったり発作止めの注射をしたり苦しみを押さえている。磯津へ帰れば、激しい発作がぶり返し、病院を離れては生活していけない。完全になおって退院する見込みはなく、労働能力はゼロになった。昼間だけ働きに出ている原告もいるが、やむにやまれず自らの生命を削っているわけで、その収入は損害額から差し引かれてはならない。

朝日新聞 1972年2月1日の夕刊より