〔被告企業側の反論〕
これまでくわしく述べてきたように、疫学、医学的にみても、気象的にみても、硫黄酸化物と、″四日市ゼンソク″との間に、因果関係がないことは、ご理解いただけるはずである。
とくに、医学の項で述べたとおり、問題となっている閉塞性呼吸器疾患ほ、昔から、どこにでもある、ごくありふれた病気である。
このありふれた病気を有機水銀中毒のような医学的因果関係の比較的はっきりした特殊な病気と同じ立場で論じられては、かなわない−−というのがわれわれ被告側のいつわらざる気持である。
原告側は、足尾銅山や英国の例を上げて、亜硫酸ガスは有毒である−ということは知り得たはずであると主張しているが、この訴訟で問題となっている亜硫酸ガスの量ほ、きわめて低濃度のものであり、しかも、それについては、「有毒でない」というのが、世界的にも認められつつある現在において、注意義務を怠った−といわれる筋合いはまったくないのである。
さらに、各工場とも、硫黄酸化物の排出については、細心の注意を払い、その時代、時代における最新技術の設備によつて、硫黄酸化物の量を押えるよう努力してきたのである。
したがって、法律上、故意はもとより、過失もないのである。
近時、患者救済を強調するあまりに、法律の要求する要件を無視または緩和しようという傾向にあるが、これは、司法的救済の限界をこえるものといわなければならない。
また、原告側ほ、この訴訟の法的なもう一つのよりどころとして、民法第七一九条の共同不法行為をあげているが、世間で、「第一コンビナート」と呼はれているだけで、関連性のない企業間の共同性を論じることは法律上まったく無意味である。
以上の諸点については、各社一致して主張しているところであるが、細部の表現については、各社それぞれの立場、状況によつて若干の差異もあるので、各社ごとにその法律的主張を見てみよう。
当社の排出した亜硫酸ガスと原告らの疾患との因果関係はない。この場合、問題となるのは、亜硫酸ガスの排出量ではなく、磯津へどのていど到達したかなのにその点については、原告側は何の主張もしていない。
共同不法行為が成立するためには、まず個々の行為が、独立して不法行為でなければならないが、すでに述べたように、当社に不法行為はないのであるから、共同不法行為にはならない。
また、共同不法行為の第二の要件として、行為者相互の行為が関連共同性をもつことが必要となるが、単にいくつかの工場が、場所的に一定の場所に近寄って存在するといぅだけでは、なんらの相互関連性を示すものでもなく、また、排煙の到達するしないは、煙突の高さで異なってくるので、場所的な近さは、この場合、まったく意味がない。
当社は、単に他の石油業者から原油の精製を委託しているだけで、その製品を他被告工場に売っていないし、パイプでの供給も単に液体の運搬に便利だからという理由にすぎないので、これらをもって機能的関連性があるとは、言い得ないものである。
また、技術的な関連性もなく、資本的には他被告のうちでは三菱化成工業が四・二五%の株式を所有しているだけで、この面からも関連性はなく、したがって共同行為の認識はない。
四日市工場の建設、操業は、政府の石油化学工業の育成振興策、中部経済連合会など地元の要望、三重県工場誘致条例など県当局の誘致にもとづいて行われたものである。
また、同工場のばい煙発生施設は、完全燃焼できる最高技術水準のものであり、さらに、硫黄含有率がゼロないしは格段に低い副生ガスや副生油を、燃料として、大量に使用しており、(使用燃料の平均硫黄含有率は、一・○%以下)排煙中の硫黄酸化物濃度もきわめて小さい。
このため、旧ばい煙規制法にも大気汚染防止法にも触れたことはなく、これらの法令にもとづく改善命令など行政措置を受けたこともない。
黒川調査団の勧告も当社を指定して行なわれたものではなく、勧告に触れる事実もなかった。
勧告以後、排出したばい煙が原告らの健康に障害を与えたことについて、被告側の故意がある−と原告側は主張しているが、同報告および勧告は、ばい煙と病気との因果関係を明らかにしたものではなく、また、ばい煙が障害を与えるといぅことを認識したこともないから故意はない。
被告六社は、一個の企業集団を形成するものではないが、かりに関連共同性があるとしても、当社の排出するばい煙と原告らの疾患との因果関係−各人の不法行為について主張、立証していないので、共同不法行為は成立しない。
当社工場の排ガス中の硫黄酸化物の量は、きわめて微量であり、ダウンドラフト現象によりさらに拡散し、薄められるから、原告の居住地には到達しない。すなわち、そもそも気象的因果関係が存在しない。かりに、到達するとしても、拡散理論計によれば、最高の場合でも○・〇〇〇九PPMであり、実際はダウンドラフト現象によって工場近傍で巻き落された排煙は、遠く離れた磯津に到達した場合には、さらに希釈されてしまう。
このようにごく少ない量の硫黄酸化物と原告らの病気との間に医学、疫学的因果関係ほ有り得ない。
事実、原告らの大部分は、当社が全く重油を使用せず、したがって、全然硫黄酸化物を排出していない時期に発症しているのであって、このことからも、原告らの疾患と当社との間になんらの因果関係も存在しないことは、明白なのである。
当社は、旧ばい煙規制法および大気汚染防止法のきめた基準をはるかに下回る値で守っており、排出硫黄酸化物の到達濃度ほ、最大の場合でも環境基準の二千分の九程度で、社会生活上、なんら非難されるものではない。
また、現在の大気汚染防止法に基づくいわゆるK値基準にも充分に適合しており、当社の排出行為にはなんらの違法性もない。
損害の発生についての予見可能性がないことは、当社の施設が、黒川調査団の調査、勧告の対象にもならなかったこと、ばい煙規制法の緊急時の協力工場にも指定されていないことなどからも客観的に言えることである。
従って、故意はもとより過失はない。
以上のような理由から、共同不法行為の成立の第一要件である不法行為の要件を備えていない。
また、当社は他の被告会社と技術的な結合はないし、他の被告からまったく独立した企業体として、営業活動を行っているのであるから、共同不法行為関係に立つものでないことは明白である。
当社の排出した亜硫酸ガスがどの程度、磯津地域に到達したかを知るためにサットン式で計算すると、昭和三十九年末までは、0・00000PPM(マ マ)、同四十年一月から四十二年十二月までほ、0・00014PPMである。この程度の亜硫酸ガス(かりに亜硫酸ガスが有害であるとしても)磯津に到達しても、有害であり得ようはずはなく、したがって、不法行為を行ったことにはならない。また、原告らが発病した時期には、当社は亜硫酸ガスを排出しておらず、したがって、発病との間に因果関係はあり得ようがない。
当社の排出量はきわめて少ない上に、煙突の高さも低く、磯津にまで到達し汚染しないことは明らかである。
また、旧ばい煙規制法による緊急工場にも指定されなかったし、黒川勧告でも対象とされなかった−などから、当社が排出した亜硫酸ガスが有害であったといぅ知見はまったくなく、過失はないといえる。
当社は、独立して個人として、不法行為の要件を備えていないから、まず、共同不法行為の第一の要件にあてはまらない。
また、共同で加害行為を行なうという認識もなく、その認識可能性もなく、原告が主張している「群居して一個の企業集団を形成」しているということは、関連共同性を認める根拠にならないし、事実としても誤っている。
当社は、拡散風洞実験を行って、三重火力発電所の排煙が、改築前の五十七メートル煙突当時でも、原告らの住んでいる磯津上空を通過し、着地しないことを確認し気象的因果関係がないことを立証した。
故意については、原告側は、黒川調査団の勧告以降は、被告らに故意があると主張しているが、同勧告は、三重火力発電所の排煙と原告らの発症との因果関係を明らかにするためのものではなく、当社としてもこれらの間に因果関係がないと認識しているから故意はない。
当社発電所の立地は、電源開発促進法にもとづく電源開発調整審議会の審議をへて、内閣総理大臣が決定したもので、立地上の過失はない。
また、できる限り低硫黄重油の入手使用に努力し、さらに、これを完全燃焼させてきた。また、煙突による拡散をはかり、法律にもとづく規制を守り、脱硫の研究を行うなど大気汚染防止に最善の努力をつくしてきたから施設、排煙処理上に過失はない。
電気事業は高度の公益性をもっている事業であり、廃業は不可能である。
共同不法行為が成立するためには、行為者の間に関連共同が必要である。
当社は他の被告工場の近くに位置し、また送電しているが、これらの事実だけで、関連共同は生じない。
民法七一九条は、大気の複合汚染のような事態を想定したものではないから、これを本訴訟に適用することは、現行の法体系の破壊につながる。
当社は、昭和十六年一月の操業開始以来、終始、非石油化学系統の工場として発展してきた。
昭和三十年ごろから、他の石油精製あるいは石油化学工場が近くに、建設されたあとでも、これらの工場とは、なんらの技術的関連も持っていない。
原告らが主張している当社と三菱化成工業、三菱油化、昭和四日市石油との取引、港湾施設の共同利用は、間違った事実と、コンビナート関係とはまったく異質の事実をあげたに過ぎない。
当社工場は、どの様な意味からでも、他の被告工場と機能的、資本的、人的な結合関係をもたない。
したがって、他の被告工場との行為の共同関連性はなく、共同不法行為を構成していない。
公害における損害と加害行為との間の因果関係は、「蓋然性」で十分であるとの説があり、原告側も口頭でそのような発言をしている。
しかし、このような見解は、実際的な理由からも、理論上からも、採用できないものである。
原告側は気象的に、排出された亜硫酸ガスが、磯津に到達するのかどうか、到達したとすれは、どのような条件の時に、どの程度の量が到達するかについて、なんら主張、立証していない。
当社の排煙が磯津に向いやすいと考えられる北あるいは東北東の風の場合にも、これらの風が多い時には、磯津の亜硫酸ガスの一日最高値は低い値を示し、逆にそれらの風が少い日に高い値を示すことが確認されていることなどから、磯津の汚染に当社の排煙が寄与していないことは明らかである。
当社の行為は、その社会的価値、四日市の亜硫酸ガス濃度が他の工業都市に比べ低いこと、旧ばい煙規制法および大気汚染防止法に定める基準に、適合していることなどから違法性ない。
原告らのうち、三名は、当社工場の操業開始後に、磯津に居住するようになったものであるから、危険をみずからすすんで任意に引受けたものであり、損害賠償請求権を行使すること自体が否定されるべき性質のものである。
排煙と磯津の亜硫酸ガスとの気象的因果関係も、亜硫酸ガスと原告らの病気との因果関係も、定見ではなく、したがって、当社にはこれらの結果が生まれるであろうといぅ認識はなかったから、故意はない。
当社が、燃料として重油を使用しはじめた昭和二十九年ごろにおいて、低濃度の亜硫酸ガスの有害性についての知見はなく、予見可能性はなかった。立地にあたっては十分な考慮を払った。海面埋立てによる工場建設、大煙突による拡散、各時点における最高水準の防除設備の設置、低硫黄重油への切替え、大気汚染防止に対する万全の措置などをとってきたから、「相当の設備をすれは過失はない」という判例からみて、過失のないことは明らかである。
(「四日市公害訴訟」の記録 公害を記録する会 沢井余志郎氏より)