どうも裁判長さん、長い間ご苦労さまでした。
今まで私らも長い間聞いていますのに、この私らが一体何ゆえにこの病気になったかと・・・・・そういうところに疑問持っておられると思いますけれども・・・・・私らの故郷が、企業が来る以前からこんな病気があったか、なかったか・・・・・1番よくご存じは裁判長さんです。私はそう思ってます。
それに企業の方は、法律の先生方をようけ連れてきて、そうして、うちじゃない、うちじゃない・・・・・一体磯津へどこの煙がきたというんです。
今も聞いていますれば、(原告陳述前に、被告企業6社それぞれの最終陳述があった)、うちんとこじゃない、うちんとこじゃない・・・・・と。そうすると、磯津は、地から煙がでてきたんか。あまりにも無責任なやりとりじゃありませんか。
そうして、企業の方、企業主のその方も、そういう先生たちを頼りにして、自分らのしとることをごまかす。またごまかすような気持ちで・・・・・。
これで世の中が通っていくと・・・・・そんな甘い考えでおるんですか。決して私は、脅迫じゃありませんけれども、あんたらがそんな甘い考えでおるんなら、あんたら企業とさしちがえましょう。
そんな気持ちでおる私らの心が、あんたらに、ちょこっとでもわかってもらえたらと・・・・・。無駄な日を費やしたかもしれんけれども、私らの子孫のためと思ってがんばってきた次第でございます。
そして、4年間という月日の間には、9人居った原告のうち、もはや2人という人が亡くなられました。まだこの上、長いこと引き延ばして、やれ高裁や、やれ最高裁やと、しちめんどうくさい法律上のことにかこつけて、この問題を解決しようとせん・・・・・この問題が解決したあかつきに、私らが生きておられると、そう思ってますか。そんなねえ、なまやさしいね、甘っちょろい考えで、あんたらよう、ほんでも、生きておるなあ。
私も、愚痴ばかし並べましたけれども、一刻も早く、私らも病気にかかっとる以上、明日もしれんというさみしい気持ちでおるんです。一日も早く、勇気ある判決をいただいて、そうしてみんな仲良う笑って暮らせるような場を作ろうじゃありませんか。
どうか一つ裁判長さん、よろしくお願いします。
先ほどの、各企業も代理人の方々の話を聞いておりますと、大いに怒りを感じるものがございます。
そこで裁判長さんにひとつお願いいたします。
私は貧乏人に生まれたせいか、裕福な暮らしをしたいとは思っておりませんが、ひとつまあ、なみのことをやっていきたいと思って望みを持っておりました。
それが、企業のために、その望みというものを破壊されました。われわれは、何故に、爪のアカほど悪いことをしたことがないのに、何でこんな苦しい思いをせんならんのか・・・・・。また、企業はどこまで苦しめたら気が済むのか、私はそれが言いたい。
ここで私たちは、命のある限り、その怒りと憎しみと恐怖を持って過ごしていかなければなりません。
そこで、私たち患者のみんなは、市民や全国民、あるいは子孫のためにも、裁判長さん誠意をもって、公正な判決をおくだし下さるようお願いいたします。
先程から、企業の弁護士のいうことを聞いとると、何かわしらはその、偽かなんぞのようなことを・・・・・わしらは長年の間、こうして苦しめられて馬鹿にされとる。
そんなら企業も、ある日にちの間休んで・・・・・ほたらわれわれの体はどうなるか・・・・・わかるか。
ここで上手なことを言うて、その場の悪いんのを逃れるようなことでは、われわれはどうして生きていけるというのか。殺すならこの場で殺せ。
そういう、そんな、やぼなことをいうとっても、おまんたちはショウにしてもらえやせん。
裁判長、ひとつ、これをなにして・・・・・。
先程から企業の方々の言われることをずっと聞いていましたが、自分たち(工場の排煙)は磯津へ到達しないと言うておられます。それならなぜ濃度が上がるか。磯津へ到達しないものが、濃度が上がったりするわけはございません。
それがために、私たちもこうして苦しみ悩み、家庭を破壊され、自分たちの前途も全く暗やみでございます。
そうした中で、自分たち、苦しい思いをしながらでも、この裁判、なんとかして勝利を得なければ、自分たちかて、また四日市のぜんそくで悩み苦しんで見える方々、またそれ以外、それ以上の全国のみなさん方のためにも、私たちの、この必死で戦っている・・・・・。
また裁判長の正しいご判決と、名裁判長の名を残されんことお願いする次第でございます。
ああ、今聞いておりますと、もう勝手に、わしらが勝手に病気になっているようなことをみんな言いますが、あんたらいっぺん磯津へきて、ひとのこと聞いとらんと、見に来たらどうや、えー・・・・・磯津へ来たらわかるやろ。あの人がこう言った、この人がこう言った・・・・・なんだそれ。
おまえたち、わしらがどれくらいえらい目するちゅうに・・・・・せんちゅうのは・・・・・。おまえら来てみりゃわかるやろ。人の病気言うとらんとええ、わいら(おまえら)来い、いっぺん磯津へ、磯津に居るあいだにわかるやろ。どうや。はっきりしてみろ。いっぺん。
これぐらい苦しい目に、ともかく寝台から、落ったりするくらいにやな、苦しんでるけどな・・・・・。
おれんとこからはいっとらん・・・・・おれんとこからはいっとらん・・・・・わいらひっぱたいてやりたいわ、馬鹿くさい、ホントにゴウわくぞ。おまえら(企業側)の顔ぐらい見たないわ・・・・・。
いっぺん磯津へ来てなあ。どんな空気やいっぺん・・・・・北向きの風がよう吹く時に・・・・・。おまんとこは西風だであたらん・・・・・そんな訳のわからんこと言うとらんと、来りゃわかるわ、はっきり来い。いっぺん。行くちゅうのやったら出て来い、こら・・・・・ほんとに。
おまえら(企業側弁護士)何も言わんと黙ってるけど・・・・・情けのうて涙がこぼれてくるわ、こんなもんの顔見とっと・・・・・。弁護士じゃ弁護士じゃと、弁護士ばかり引っ張り出して、なんやおい・・・・・会社の人間が1人でも出てきておるのか。ここへ来て、頭を下げに来い、いっぺん、えー、頭下げに来るか、磯津へ来るか、どっちゃか、2つにひとつにする人間、出てこい、ここへ。はっきり言え、それを。
ふん、おらんとかは磯津へいかん、ふん、おれんとこは北風やでいかん、西風やでいかん、そんないいわけせんでもええわあ、それがわからんくらいなら人を頼るな。そうやろ。
なあ裁判長、ほんとに、これは、実際、人をごまかすようなことを言うとんのやで、はっきりしたことを言うてくれにゃ、あかんわ。磯津へ(肺煙が)くるか、こんか、自分ら来てみりゃわかりますやろ。
ああ、わしんとこは・・・・・石原(石原産業)は磯津へいかんたら、わしいとこの火力(中部電力)はいかんたら、わしんとこはいかんたら・・・・・煙突高こうしたって・・・・・なんで煙突高こうしたんや、そんな煙突いらんやんか、煙突なんか折ってしまえ、どこへ(排煙が)流れる・・・・・すこたま(頭)なぐったりたいほどゴウわくわ。
ほんとにこれは、きった裁判を、いっぺんやってください。どうぞおたのみもうします。
次は、石田かつさん(67歳、無職、気管支ぜんそく、肺気種)の陳述となっていたが、午後になって気分が悪くなり、病院へ運ばれ、発言できなかった。
昭和42年提訴以来、今日までおる原告の1人であります藤田一雄でございますけれども、ご承知のとおり、随分早くから、もうこの法廷には出るだけの元気がなくなりまして、現在、塩浜病院の病床にふしております。
(この発言中にも、原告席に戻った中村栄吉さんは、怒りを抑えがたく、「磯津へ来い、いっぺん・・・・・」と、二言、三言、企業側へ投げつけている)
一昨日も、私がこの日のための打ち合わせに参りましたが、今日はどうしても出れない、けれども私としては、ぜひ言いたいと、これだけは裁判長に言っておきたいというふうな意味のこと私に託しておりますので、特に裁判長のお許しを得て、その声を聞いていただきたいと思います。
この内容につきましては、すでに藤田一雄から陳述書が提出されておりまして、時間もわずか2分半から3分でございますので、ぜひ、原告藤田の気持ちをこの法廷で表してやっていただきたいと思います。
被告側のご意見はいかがですか・・・・・。
先ほどのような、罵詈雑言みたいなことであれば、あれですが、この通り(準備書面としてしたためてある陳述)であれば、別にし支えはありません。
(法廷に持ち込んだテープレコーダーで、藤田さんの声の入ったカセットテープを回す。、ゼーゼー、ヒューヒューしながらの発言で、発声するのは苦しそう。この録音は、ベットに寝ながらの発言を録音したもの。野呂弁護士と沢井とで録音)
私も、他の原告と一緒に、私も出廷をしたかったんですけども、今では病院のペットからも離れられない状態で、一歩も歩けないので、結審をこの目で何することもなく、できないこと、私は非常に残念に思っております。
しかし私は、何としても、被告企業のあまりにも誠意のないなにに、非常に憤りを持っておるものです。
どうか裁判長、われわれの心情をおくみ取りになって、生きる権利を奪おうとする現実を、なんとか打ち破って、命と暮らしを守るために、磯津の町を、本当にきれいな空気、住みよい町に戻してもらうこと、私は心から願っておる次第であります。
先に、裁判長にもお願いいたしました(原告本人尋問で、法廷に出てこられないので、裁判長や、原・被告代理人らが病床出向いて、医師立ち会いで臨床尋問を行った)、ぜんそくとばい煙の関係は断ち切れんということは、われわれ肌身でよく感じ取っておる。どうか裁判長、われわれの心情を察していただいて、1日も早く、裁判をお願いしたい次第でございます。
私は生まれてから磯津でこの年まで過ごしてきました。磯津の現状には、他の人よりも1番よう知っていると思います。
私の親は、昭和36年に公害にかかり、それでなくなりました。
その公害を、この法廷において、いまさらその責任を逃れようとする企業に対して、私は非常に悲しむものです。
親が、長年、7年も8年も、苦しみに苦しみ抜いて・・・・・苦しいときには、殺してくれと、これまでも言ったこと、この苦しみは絶対に忘れさることはできません。
この怒りはな・・・・・私の親は死んだことになったが、絶対わしは、死んだんじゃない、殺されたんだ、公害によって、企業によって、殺されたんだ。わしの親は、死んだんじゃない、殺されたんだ。
それにもかかわらず、現在の状況はどうか。まだその責任を逃れようとしている。ああだこうだ・・・・・ないこと並べて、そのくせ責任を逃れようとしている。
われわれ原告団としては、絶対、その責任を、あくまでも追及していきたいと思います。
わしが最後に、裁判長にお願いしたいことは、この公害を1日も早くなくして、明るい丈夫な町をつくるようにと、私は念願しています。
思えば、長い長い裁判でした。それも本日、結審を向かえることができましたけれども、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、現在の僕の気持ちは複雑な気持ちでいっぱいです。亡き妻も、もう少し生きながらえて、今日の結審を、また判決を、心待ちにしていたと思います。
先ほどから、企業側の弁護人の話を聞きますと、みんな主張していられますことからいきますと、いったい僕の家内は何で死んでいったんでしょう。本当に悔しくてなりません。
眠れない夜に、下の篤哉が、どんな夢を見ているのか知らんけれども、「母ちゃん・・・」って言って、にこっと笑っていることがあります。ほんとに、男の胸に突き刺さるものがあります。
また、上の喜代子も、せっかく行った名古屋の高校も途中で退学するようなことになりました。家内が生きていたら身を粉にしてでも働いて、高校生活を続けさせたと僕は思います。
それで、企業側の弁護士さんたちも、人の子であり、人の親であるはずです。この問題は、いや、このぼくたちの家庭の悲劇は、もしあなた方に変わっていたら、いったいどのように思われます・・・・・。
夜更けた磯津の町に、怒りの渦が4つ(父と子供3人)捲いているということを忘れないでほしいと思います。
最後に、裁判長にお願いすることは、一日も早く公明正大な、すがすがしい判決をされんことを、せつに、せつにお願いして終わらせていただきます。
長かった公害裁判も、いよいよ結審となりました。
母と高校生活を奪った公害を憎いと思います。
幼い妹や弟が、日に日に母のことを思い、悲しんでいるのを見ているとかわいそうでなりません。
一日も早く、きれいな空気の吸える四日市に、公害のない、住みよい社会にしてほしいと思います。
裁判長さん、一日も早く正しい判決をしてください。亡き母もそのことを望んでおると思います。