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環境学習センターが隔月で発行する「かんきょうニュース」に総合的な学習の時間と環境教育についての記事が載っていました。
この中で、「今後さらに総合的な学習の時間での環境学習が増えていくものと思われる」とし、「子どもたちとともに環境学習に取り組み、私たちにできることを考えていきたいと思っている。」とまとめています。
ニュースを読んでなるほどと思う反面、疑問を抱く面もあります。
「四日市環境学習センターが設立されて6年あまりたち、多くの市民とともに環境問題について学び、少しでもよい環境を後世に残すために、何をなすべきかを考える場所として市民に利用されている。」と位置づけている。そして、日曜日開館を記念して、かんきょうにやさしいケナフの種の配布をし、「ケナフ紙すき体験教室」も毎年企画している・・・それは、小学校等で教材としても用いられている・・・
しかし、「四日市公害」は、どう位置づけられているのだろうか。このニュースだけで判断はできないが、新規採用教職員研修会で、環境を考えるために北部清掃工場は訪れても、「四日市公害」を研修に取り上げている様子はない。(以下HPより)
「公害を克服しました」「二度と公害の過ちを犯さない」「これからは環境の時代です」「環境教育、環境学習を・・・」
こんな言い方を聞くと寒気がします。なんとあさはかな・・・と思ったりします。何をもって「克服」というのだろうか。「環境教育」ってなんだと思っているのだろうか、などなど・・・・。
「公害」という、環境破壊、人間破壊があり、そうした事実の上に立って、ノーモアヨッカイチ・公害のあやまちをくり返さない環境教育・学習が出てきたことを無視してはならない。つまりは、公害の事実・歴史を知らないで、ふまえないで、何が“環境教育“か“環境学習“かであり、ましてや公害の原点である四日市においてやである。
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