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▼上野市立久米小学校 北川さん:
> * 澤井さんは、失礼な話ですが、認定患者でないのにも関わらず、そこまでして公害訴訟の活動に懸命に力を尽くされたのでしょうか。そのこだわりは、何でしょうか。
この質問については、沢井さん自身に直接聞いていただくのが一番いいと思います。この掲示板だけでは、語り尽くせないのではないかと思います。また、答えは、私たちが考えるものではないでしょうか。
ただ、沢井さんの書かれたものの中に、ヒントがあるように思われるので、以下の文を参考にしてください。
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(“助っ人”と“黒衣”の反公害)より
公害に反対する。公害を防止させる。その運動の主体は地域住民と公害患者でなければならない、と思った。地域住民と公害患者こそ被害の実態を身をもって知り、大言する生き証人であり、工場側も、そうした人たちを無視しての操業は続けられないからである。しかし、そうはいっても、ひとりひとりの市民は、その日の生活に追われたり、幾重にも絡むしがらみを背負う地域住民にとって、反公害運動に明け暮れる余裕はない。 また、公害患者は病人であり、弱気になったりで、諦めがちにもなる。
工場側は、それらをいいことにして公害防止を怠り、行政は手を打とうとはしないのである。何とかしなければ、と思った。そんなとき、磯津の漁師で、公害病入院患者の中村留次郎さんから、「労働組合で、“公害反対”と言っているだけじゃ、どうにもならん。わしら患者がどれだけ苦しんでいるか、そういうことも知ってもらい、これ以上公害患者を増やさんようにしてもらわんとな・・・。何だったら、わしらが入院しとる病室へ来たらどうや、夜中から明け方にかけ、患者が発作を起こして苦しんどるのがようわかる。」と言われた。
労組などが、いくら大勢集まって、「公害反対!」、「公害なくせ!」って、こぶしを挙げたりしているだけではだめだ、というわけである。公害患者のナマの苦しみや、くさい魚で漁にいけない漁師、悪臭や煤煙などで、生活を脅かされる地域住民。そうした地域住民の地平で、反公害を進めなければならないことを知った。
その手掛かりにと、カメラ、テープレコーダーをもって、三重県立大学医学部付属塩浜病院へ行った。ところが医師に、「この病室は、空気清浄病室なので、24人分の入院患者の空気しか送り込んでいないから・・・」、という理由で断られてしまった。
しかし、これが契機となって、四日市公害の吹きだまり、と言ってもいい磯津地区へ通うことにした。
http://www.rt.sakura.ne.jp/~zensoku/zensoku/siryo/guide/sawai/ayudante.htm
↑ここに、前文が載っています。
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