四日市再生「公害市民塾」

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【24】公害は二度と繰り返してはいけない 一市民 01/6/3(日) 13:41

【33】Re:松尾鉱山 市民塾 01/6/20(水) 17:13

【33】Re:松尾鉱山
 市民塾 E-MAIL  - 01/6/20(水) 17:13 -

引用なし
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   ▼一市民さん:
>戦前から北上川上流に松尾鉱山株式会社があり一時は従業員数万人、病院、学校まであり硫黄を生産していました。戦後、コンビナートの煙突に脱硫装置が義務つけられ副産物として硫黄が生産され松尾鉱山は倒産してしまいました。しかし閉山後も強酸性の鉱毒水の排出は止まらず現在も中和事業が継続しています。この事業は永久に続けなくてはなりません。一企業の起こした公害で国民の税金で尻拭いをしなくてはならない現実はほとんど知られていません。
>最近の報道でも工場の跡地からダイオキシンが検出され付近の住民が恐怖に怯えているニュースがありました。企業は絶対に公害を発生させないことを念頭に生産活動をして欲しいと思います。公害の歴史は風化させてはいけません。

「1969年11月11日、岩手県岩手郡松尾村の「松尾硫黄鉱山」は事実上閉山となった。1914年(大正3年)8月1日、松尾鉱業株式会社が誕生してから55年3ヶ月である。東洋一の生産を誇り、“嫁にやるなら松尾の鉱山に”と、1951年(昭和26年)前後のヤマの最盛期には朝鮮戦争もあり、従業員は4800名を数え、活気にあふれたヤマは“雲上のユートピア”として繁栄した。
 石油産業が公害を防ぐために設けた脱硫装置の結果、回収硫黄が鉱山硫黄を喰い、最後まで働き続けた従業員千余名が全員解雇され、厳寒の中に追い出された。」

 以上を瓦版に記していた沢井氏も、松尾鉱山の中和事業が現在も続けられていることに驚いていました。
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